文章で食っていきたい、なんてかっこいいことは言えない

大学生の頃、某女性向けサイトでなんちゃってライターとしてアルバイトをしていた。わざわざこのブログを読んでくれている人なんて本当に1日に1人いるかいないかなので大して濁す必要など全くないのだけれども……。ちなみにそのサイトの検索窓に「星野」と入力すると過去に私が書いた記事がいくつか出てくるはずである。

それにしても、今が社会人2年目の半分くらいだから、つい2年半くらい前までそこで仕事をしていたんだなと思うと複雑な気持ちだ。言うほど懐かしい!とかそういう訳ではないのだけど、新卒で入社してから今の会社で色々なことがあったので(ノイローゼになって休職したりした、過去記事参照のこと)、何だかかなり昔のことのように思える。

 

そう言えば、まだ私が中学生くらいだった頃に親戚のおばさんか何かに食べ物の好みか何かについて質問されて、「昔は好きだったけど今は好きじゃない」みたいな風に答えたら「あなたまだ若いのに昔なんて言って!」みたいなことを言われたことがあった。彼女の言いたいことは今になって思えば分からなくもないのだが、あの時、何となく私という存在の僅かばかりに積み重なってきた歴史が否定されたような、そんなやるせない気持になったのを覚えている。漠然と、こういう大人にはなりたくないなと思ったものだ。

 

話を戻そう。その大学生時代のバイト先では新刊の紹介とかゲームの紹介とかそういうプレス記事から主観バリバリの読書レポートみたいなものまで結構幅広く書かせて貰っていて、文系学生として授業でちょいちょいレポートを書いていたこともあり、多分人生の中で一番数を書いていた3年間だったと思う。英語で有名な大学に通っていたという理由だけで、TOEICもまともに受けたこともないのに海外ネタの翻訳とかもやらされていて本当に何でもありのちゃんぽんなんちゃってライター職ではあったのだけれど、これがまあ、今考えてみると非常に楽しかった。

当時は「書きたいものが書きたい」とか「社長の無茶振りがクソ」とか散々愚痴ったりもしていたが、現在の自分から言わせてもらうと、文章を書くことがダイレクトに収益になるというのは本当に貴重な体験だと思う。実際、フリーライターとしてやっていける人なんて本当に一握りな訳だし、当然「俺は文章で食っていくからよ!」と仕事を辞めたからと言ってすぐに文章を仕事にできる訳でもない。

 

書くしかないのである。twitterInstagramyoutubeなどの手軽に楽しめるコンテンツが主流の今、テキストサイトに需要なんてないんじゃないか?というのは多分多くの人の考えているところだと思う。けれど、今だってはてなブログとかライブドアブログとか個人のテキストサイトで面白い文章を書いている人はたくさんいるし、PVがあるということはそれらを読んでいる層も少なからずいるということなのだから、全然捨てたもんではないのかもしれない。

ただし、当たり前の話だが、素人がいきなり「ブログ始めよう!」と言って開設したところで読まれるはずもなく。これは私自身ひしひしと感じていることだが、実際に記事を書いたところで、「だから何?」って話なのだ。そりゃそうだ、誰だって他人の長々とした自分語りになんか興味はないだろう。よっぽど面白い体験とか(まあそもそも面白いって何?って話にはなるけど)、そういうネタで勝負できればまだ良いのかもしれないけど、毎日食って寝て会社行って帰ってを繰り返している死んだ目の23歳会社員が考えなしに(多分ここが重要)書くことがさして面白いものにならないのは分かり切ったことだ。八方塞がり、無理ゲーである。

 

それでも私は書くことが好きだし、何より今会社がマジでめちゃくちゃ暇で本当にやることがないので勤務時間中にブログを書いている。そして、書きながら漠然と「また文章を書いてお金を貰いたいなあ」なんて思ったりするけれど、それを大っぴらに言うだけの度胸もなく。ただ、何となく映画の話とか、通勤時間中に書いた特に意味のない散文みたいなものを書くことから始めてみようかなあと考えたりしている。

あんまり自分の私生活をだらだらと書くことは好きじゃないのだけれど、私の場合アウトプット(書くこと)の途中で見えてくるものもあったりするので、次は今年7月末~9月末くらいの出来事について書いてみようかと思う。誰かを楽しませるための場とするのはちょっと難しそうだけれど、このブログは自分の思考の遊び場みたいな位置づけでも良いのかもしれない。