「私は子供を産まないんだなあ」と思いながら職場のトイレで啜り泣いた日があった

「子どもを授かること=幸せ」なんて方程式は現世において本当に呪詛のようなものだと思う。女性の独身はかわいそうとか、子どもを産めないのはかわいそうとか、そういうのは本当に不要な気遣いだ。

子どもの頃に聞いた歌(多分何かのアニメのOPか何かだったと思う)に「今の自分がかわいそうなんて誰がどうしていつ決めた」というフレーズがあってそれが今でも印象深く記憶に残っているのだが、20代も数年が過ぎた今、まさしくそう思う。

 

今日、職場に産休中の社員さんが顔を出した。うちの会社は基本的に社員の仲が良いので、「久しぶり」「最近どう?」みたいな背後から会話が聞こえてくる。そこで、社長が私の隣の席の女性社員さんにその社員さんを「先輩だね」と言って引き合わせたのだ。

何の先輩か? 「母親」の先輩である。私の隣の席の社員さんは、お腹に赤ちゃんを抱えている。

私は何だか妙に居心地が悪くなって席を立った。それから一目散にトイレに閉じこもって、何分間か泣いた。自分でもどうしてか分からないが「ハァ~~~どっこいオラ何だか悲しくてたまんねえぞオイ!」といった具合に涙がぼろぼろと流れてきたので、イカイカン化粧が落ちてまうでと必死で堪えていたら鼻から出た。結局ファンデは落ちた。

 

別に何か言われた訳でもない。私が勝手に悲しくなっただけである。私は高校生くらいの時からずっと「子どもを授かりたくない」と主張してきたのだが、そんな自分を責められているような気がして、感情が一気に負の領域へとザップーンしてしまったのだ。悲しみの波はいつも決まって東映の映画前に流れるあの映像のごとく唐突に襲ってくる。(気になって調べたら「荒磯に波」という通称があることを知り、また普段全く披露する場面のない知識が増えたなと思った)

別に子どもを産むこと自体が幸せな訳でも何でもないし、そもそも万人が認める幸せなんてありはしない。少なくとも私はそう思っている。
けれど、何だかなと思うのは、「子どもを持つことが幸せだ」と信じて疑わない、それを拠り所にして生きている女性たちが少なからず存在しているということだ。そして、私が何だか無性に悲しくなるのは、自分自身の中にもそうした考えが多かれ少なかれ植え付けられていて、自分が彼女たちよりも劣っているように思いこんでしまうからなのだと思う。

 

冒頭でも書いたことだが、本来第三者が誰かの幸福(あるいは不幸)についてやあやあ口を出す権利なんて持っていていいはずがない。けれど、あえてダブスタだと自覚しつつも言わずにはいられないのは、「そういう考え方を良しとして生きていくのはあまりにしんどすぎないか?」という老婆心からだ。あとは自分への応援の意もある。「君は子どもを産まなくてもとっても素敵な人間だね! 一緒に猫を愛でながら暮らそう!」と笑顔で言ってくれる人(性別問わず)と生きていくのが夢です。

映画を見る。アイドルを応援する。ペットと暮らす。好きな歌手のコンサートに行く。おいしいものを食べる。漫画を読む。アニメを見る。どれも素敵な趣味だ。それなのに、この世にはそれらを「一人で」やっていることに対する劣等感を駆り立てるような風潮が満ちている。また、そもそも無趣味であるからこそ、早く結婚して子供を産んで……という考えに囚われている人もいるように思う。

 

一年くらい前に、会社のある女性社員が「どうして私は結婚できないんだろうって悩んで占いに通っていた時期もあったし、人と話してても自分は本当にダメな人間だなって思っちゃって……」と話しているのを聞いたことがある。

斜に構え人間の私はそれを聞きながら「占い行く前にもっと本気で腰を据えて自分のこと考えてみればいいのに(どうせどんなに考えたところで自分のことなんて分かりっこないけどやらないよりマシだろ)」と思ってしまったものだが、こういう人こそ「女性は家庭に入って子供を産んで……」という価値観の元で「そうなりたい」と思って生きているように感じてしまったのだった。(もちろんそれも決めつけと言われればそれまでですが、そんなこと言ってたら人はブログなんて書けないと思います)

 

何回も言うがこれはダブスタも甚だしい話で、本当に「うるせえな私は子ども産めさえすればそれでいいんだよ!」と言われたら何も言い返す権利なんてないのだが、先にも書いたように私自身への激励という意味も込めて、それでもあえて言わせてほしい。

お~~~い磯野~~~!!!! 世の中楽しいことはそれなりにいっぱいあるぞ~~~!!!

よく人生は旅とか川とかに例えられるが、私は完全にスーパーマリオ一択だと思っている。調子の良い時に余裕ぶっこいてヒャッホーウ!していると突如地中から現れたパックンフラワーであっけなくマンマミーアするし、いくら慎重に進んでいても明後日の方向から飛んできた甲羅に脳天をブチ抜かれて死ぬ。土管に入れば謎の空間に飛ばされて出口が分からなくなって出られなくなるし(私だけか?)、ゴールテープが見えているにも関わらずキラーに突っ込まれて死ぬ。あれは人生の縮図と言ってもいいと思う。

マリオはまだいい。1人目が死んでも2人目がいる。でも人生はそうはいかない。一回でもクリボー接触したら終わりだ。そんな過酷なサバイバルなのだ、人生は。それなのに子どもも産まなきゃいけないってオメー修羅の道にも程があるだろ……というのが私の率直な意見です。

 

私は自分自身に掛かってしまっている「子どもを産むつもりがないこと」を咎める呪いを強い心で撃退していきたいし、「子どもを授かること=幸せ」なんて方程式はありとあらゆる人間のためにも一刻も早く爆散して欲しい。

呪いを解くにはある程度伴侶の協力も仰ぎたいところなので、もしもこの先人生を共にしたいと思う人が現れたら、面倒くさいことは百も承知の上でこのブログの記事をいくつか見せて本当にその人とやっていけるかどうかを見極めた方がいいのかもしれないと思ったりした。

スーパー マリオパーティ - Switch

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現在お仕事で「Pathee Epic」の記事を書いています。東京のとっておきのお店を店舗での体験を交えて紹介するメディアで、写真がとにかく最高なのでぜひ覗いてみてください。

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