背後で規則的に鳴る寝息を聞いている

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1泊2日の旅行から帰ってきた。行っていたのは青森で、非常に良いところだったのだけれど、それについてはまた今度ゆっくりと時間をとって書きます。

此度の旅行に行く前には色々あって、向こうから「分かり合えないなら破局」との宣告を2度ほど受けて臨んだ訳だが、結論としてはとても楽しい旅行になって一安心だった。私は旅行の間はその話題を出さない方がいいなと思っていたのでその件については一言も触れなかったし、実際のところどう思っていたかは知らないけれど、向こうも蒸し返すようなことはしなかった。

ああ今この人は何を考えてんだろうなあ、何も考えてないのかなあ、など思わないでもなかったが、それよりもやっぱり2人で同じものを見て話して笑うのは楽しい。どうしてなのだろう。あの人と一緒にいると楽しくて、それは多分向こうも同じで、だからこそタチが悪いよなと思う。

 

「今が楽しければいい」という言葉の意味は分からなくもない。というか、旅行の間は私とてそういう気持ちだった。

はっきり言って、もう私は彼が私に言ったことをそんなに気にしてはいない。1人でしこたま踊って忘れたから。けれど、私はどうやっても先のことを考えてしまうし、そうなった時にこの人は私との先を考えることがあるんだろうかと思う。

相手に依存はしたくない。そこはお互い共通している。そして、氏は私に「いてくれるだけでいい」と言う。それはありがたいことだが、その「いてくれるだけでいい」は「いてくれるだけでいいからその代わり自分の考え方に賛同できないならやってはいけないと思いますよ」と同義で、それはそれでまた極端な話だよなあと思う。

一緒にいれば楽しいし相手に不満はないのだけれど、離れた時にふと「この人は本当に私と一緒にいたいんだろうか」とか「2人で過ごすこの時間はどこまで続けられるんだろうか」とかそういう良からぬことばかり考える。何てことのない生活の積み重ねが、今の私にはひどく途方のないものに感じられる。

 

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昨日の夜23時頃に北千住の氏の家に帰ってきて、今日はせっかくのクリスマスイブだったから、鶏肉などを焼いて食べた。ミネストローネも作った。おいしい。特に鶏肉。仕込みから焼くまで全部やってくれた。とろとろとスープを煮込んでいる間に美味い肉が出てきたので何も言うことはない。

私は包丁がマジマジのマジに苦手なので野菜もほとんど切ってもらったけれど、もうなんかそれをいちいち情けないなとか申し訳ないなとかそういう風に考えるのはやめた。私は私のできるところで頑張ればいいや、と思う。

青森から買って帰ったシードルを開けて飲んだ。うまい。ビールのような色と味だった。近所のスーパーで買ったデザートチーズもうまい。全てうまい。この世はうまいもので溢れているので最高ですね。

 

夕方から氏は少し咳をしていた。夕飯のあと改めて熱を測ったら37度ちょっとまで上がっていてこれはまずいということになり、急遽もう1泊して昼間部屋に残って明日の夕飯などを作っておくことになった。新幹線で風邪でも貰ってしまったのだろうという話をした。私がApple Musicでジャズアレンジのクリスマスソングプレイリストをご機嫌で流している間に熱が上がっていたのだろうなと思うと少々申し訳ない気持ちになる。

明日も仕事なので早めに寝た方が良いだろうということで20時半を回る頃には布団に入っていた。私はそれからシャワーを浴びて、明日の夕飯はどうしようかなと考えながら、今はこたつに入ってぼんやりと色々なことを考えながら文章を書いている。

背後からは少し苦しそうな寝息が聞こえてくる。朝になったら熱が下がっていると良いなと思う。生活だ。どこまでも生活。心地よいのでなるべくなら地続きで続けていきたいが、じゃあすぐに一緒に住みましょうという話でもないので、上手いこと実家との二重生活を続けていなければならない。

 

少し時間と距離が離れると、お互い嫌な言葉ばかり口をつく。こちらが刺激しなければ向こうは何も言わない。そういう時は、対面でないコミュニケーションが仇となる。

不安に思うことや気掛かりなことは直接伝えた方が良いということは今回の件で痛いほど分かったので、同じようなアクシデントを起こさないように意識しようと思う。日々の延命措置だけではいつか何かがダメになるので、どうにかこうにか上手い方法に2人で着地できたらいい。

これで自分も明日熱を出したら笑ってしまうな、と思いつつ、今日は私も早く寝ようと思う。