そこで楽しくやっていくしかない

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時計を買った。刑務所のように必要最低限のものしかない自室が華やいだらいいな、とそんなことを思ってうきうきしながら持ち帰ったが、私はすこぶる詰めが甘いので壁に掛けるための道具がないことを忘れていた。

せっかく一目惚れして買ったのに、と残念に思いながら、仕方なく平置きされた時計の動かない針を見ている。これが動くのはいつだろう。壁に刺すピンくらいさっと買えばいいものを、「また今度でいいや」が積み重なって今に至る。

そんな風に考えていたのがつい4日前くらいのこと。人生とはまこと面白いもので、気付いたらトントン拍子に自分を取り巻く世界は変わっていく。それこそ坂道を石ころが転がっていくが如く、気付いた時には「あ、こんなところまで来たんだな」と後ろを振り返って懐かしくなったりするものだ。

恐らくなのだけれど、私は近いうちに家を出ることになるらしい。らしいというか、多分、十中八九そうなる。3日前にそう決まった。転職が決まった昨年末から、何だかずっと下りっ放しのジェットコースターを眺めている気分だ。

「将来的に、どこかのタイミングで一緒に暮らしましょう」

以前、そんなようなことを言ってくれたことがあった。私はと言えば、自分から「家を出たい」と打診したくせ、そのタイミングが今になるとは思っていなかった。

私がもう大分長いこと家族との接し方について少なからず頭を悩ませていることを理解した上で、そこから物理的に抜け出したいという意志を汲んでくれようとしている。それは何てありがたいことだろう。むっとすることも指をさして非難したくなることもあるけれど、私に向かう純粋な好意に感謝することだけは忘れてはいけない。そこだけは忘れたくはない。

生きていくだけ。あとはもう、生きていくだけだ。最近はそんな風に思う。自分で納得のできる仕事があって、少しずつだけど、決して上手ではないけれど、新しい家も作っていって。あとはもう、そこで楽しくやっていくしかない気がしている。

買った時計に、まだ電池は入れていない。新しい部屋ができたら、そこで初めてちゃんと動かしてみればいい。