今はまだすごろくの2マス目くらいのところにいる

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3月23日、引っ越した。最低限の家具と、洋服と、布団を持って、私は実家を後にした。なんかもっと感動とか、そういう情動があるかなと思っていたけれど、特に何もなく日々は過ぎる。ともあれ生活は続くので、振り落とされないように目先のことに集中して、ひとつひとつ確かめながら歩いている感じだ。


他人との生活は意外にもどうにかなるもので、むしろ今のところは私よりも相手の方がひとりの時間を求めているようにも思える。年始には私が発狂していたのに、今のところそういった予兆が見えず、不思議だ。自分で自分の感情のバイオリズムが分からないのは単純に不便だなと思う。


住み始めたこの物件はもともと大家さんの親族が小さなお店をやっていた部屋で、そこかしこにリノベーションの跡が残っていて、カウンターキッチンがあったり部屋の壁が赤かったりとなかなか面白いことになっている。そして、私たちはそういうところが気に入ってここに決めたのだ。木造なのでめちゃくちゃに寒いという点を除けば、今のところ大きな不満もなく暮らせている。


職場もうんと近くなった。前は電車を乗り継いで一時間半弱掛けて通っていたのだが、今はバスでスイスイ15分ちょっとで通勤できてしまう。こんなにイージーモードで良いんだろうか、と不安になるレベルで早い。当然、朝も格段にゆっくり寝られるようになり、ますます私の寝汚さに磨きが掛かっているところだ。


一緒に住むにあたって、私たちは「家賃の契約の件などもあるので絶対に一年間は何があっても一緒に住む」という約束をした。この一年間が穏やかなものであればいいなあと思う。私がこの家を出るのは、彼が私に愛想を尽かしたときか、私が彼をどうやっても人として好きだと思えなくなったときのどちらだろうか。そんな風に考えたりすることもあるが、そんなのは当然誰にも分からない話なので、変なことで深く悩み始める前にさっさと寝てしまった方がいい。


ブログの更新も、一ヶ月ほど空いてしまった。実のところ、まだ新居にはインターネット回線が来ておらず、この文章も布団に入りながらiPhoneで書いている。今、私はほかの何より通信制限が怖い。


昨日は目黒川まで花見に行ったが、桜というものに対して特別そこまで感情が動くことがなく、ただ川べりを散歩してきたみたいな形になった。花見に出掛ける度に、これは自分には向いていない行事だなと思う。

私にとって大事なのは桜よりもラーメンだ。そう、昨日はとても寒かった。寒い日にはラーメン。ラーメンが食べたくて仕方なかったのでそう強請ると、一緒にラーメン屋さんに行ってくれると言い、お言葉に甘えた。


頭の方でも書いたように、今日の彼は少しだけ様子がおかしい。おかしいというか、私との距離を測りかねているという感じだろうか。どこまでも人間と人間という感じだ。こういうぎこちなさが、いつか将来的に私を色々な意味で泣かせてくるような気がしている。ああ、悲しい終わりが来なければいいな。


私も私で自分が今のところ大丈夫だからと少し寄り掛かり過ぎたのかもしれないな、と考えつつ眠る。襖の向こうから彼の寝息が聞こえ始めて、こんな些細なことにすら、まぶたの裏まで涙がせり上がってくる。特に悲しくも、嬉しくもないのに。私も私で十分難解で、多分それ以上に単純なのだ。