つくりものでも

元気があれば何でもできるけど逆に元気がなかったら何にもできなくない?

LINE着せ替えでご機嫌になれる人生

ここ数日はずっと仕事をしているふりをしながらブログを書いたり読んだりしている。

このブログは当初本当に身内のための生存確認の場として使おうと思っていたのだけれど、やっぱり自分は文章を書くことが好きだしこれくらいしか継続して続けられることはないのかもしれないと思い立って、2日に1回くらいは何かしらを更新したいと思うようになった。
そんなこんなで本当に私的な内容ばかりのブログにもかかわらず☆を飛ばしてくれる人や読者登録などをしてくれている人もいて、ありがたい限りだなと思う。


お昼はチキンラーメンチキンラーメンは大好きである。麺を食べ終わったあとのスープを全部飲み干してもあまり己の身体への罪悪感が湧いてこないのがいい。もちろん味もおいしいので最高だ。

ただし、私にとってのチキンラーメンの一番おいしい食べ方はお湯を注がずに固い麺をそのままバリムシャァと頂く方法である。これをしたい場合は小分けになって売っているチキン味のおやつラーメン的なものを買うのが一番いい。


家に帰ったら昨日よりは苛立ちが治まっていてほっとする。必要以上に他人に当たり散らすのは良くない。母の用意してくれた夕飯を粛々と頂いて風呂に入った。

「久しぶりに買ったBL漫画が面白かったんだけど、読む?」

風呂上りに母からそう声が掛かる。私もだが、母は腐っている。というか私がはじめてBLを手にしたのは母の本棚でのことだ。

おすすめされた漫画を読んだ。面白い。前から気になっていた作品だったので得した気分になった。

母とはこうしてBLやゲームの話をしている時が一番お互いが楽しくいられるんだと思う。母と私は血を分けているからか二次元コンテンツにおける概ねの趣味趣向が似ている。身近な友達としては非常に楽しい存在なのだが、とはいえ外に気の合う友達ができてからは私にとっての「一番」ではなくなったのかもしれない。

ただ、それは決して悪いことではない。ましてや、誰かが一方的に悪いと言う話でもない。私はいずれ外の世界で生きていくのだし(今もそうと言えるけど)、自然と離れていくのはどうやったって仕方のないことなのだ。


そういえば、帰りの電車でちらっと見えた他の人のLINEがすごくかわいい夜空の着せ替えになっていて、半ば衝動的に私も星空っぽい着せ替えを探して買った。シンデレラ。別にディズニーのシンデレラのことなどこれっぽっちも知らないし好きでもないのだが、デザインがかわいかったので買ってしまった。

これまでは淡いピンクのムーミンの着せ替えにしていて(ムーミンはとても好き)、冬っぽい寒色のデザインに変わって何だか一気に満足した。

 

夜はまた少しLINEで人と話した。

シンデレラの着せ替えは背景が星空模様になっていて、吹き出しにも小さなキラキラがくっついている。送られてきたメッセージが全部妙にキラキラしていて面白い。ちょっといい話をしていたので、何だかそれだけで特別な気分になってしまった。たやすい。こういう時、私はすこぶるたやすい人間です。

対面・文章問わず、我々はたくさん色々な話をする。それが他と比べて多いか少ないかは分からないが、くだらない話で2人でいつまでも笑っているとかそういうことよりも、淡々と会話をしていることの方が多いと思う。

それでも、やっぱり面と向かってはなかなかできない話は文章でやりとりすることが多い。
昨晩のやり取りの中で、私がずっと「こういうところがとてもいい」と感じていたところが実は相手にとっては心配の種だったということが分かって良かった。

お互いの考えていることや立ち位置について改めて確認する時は、流れてしまう言葉にするよりも文字に残した方がいいこともある。

テクノロジー万歳。360円のLINE着せ替えでご機嫌になれる人生で良かった。

病名でもついたら

ここ数日は通勤中に学生時代によく聞いていたandymoriをまたじっくりと聞いているのだけれど、クレイジークレーマーの「病名でもついたら いじめられないし もう少しは楽なのかな」というくだりが学生時代にとても好きだったことを思い出した。
別にいじめられていた訳ではなかった。でも、如何ともしがたい生きづらさのようなものは常に感じていた。

大人になった今考えてみれば、学校というコミュニティは本当に笑っちゃうくらいに狭くて、そこだけが全てじゃないんだけれど、そんなことは当時は分かるはずもない。
ここ最近は「今、大丈夫だからいいや」と思えているので、色々あるけど何とか生きていこうかなという気持ちでいる。


改めて考えてみるとあと6日ほどしか出勤日がないことに気付いて、あっという間だなあと思う。
職場全体に対する寂しさとか未練とかそういったものははっきり言って皆無なのだが(繋がっていたい人には退職後も自発的に連絡を取るつもりだし)、そろそろデスクの中身を持って帰らないといけない。

コンビニでカップ麺を買うと、アルバイトの店員さんがいつもお箸とスプーンをつけてくれる。しかし、私はカップ麺のスープを飲む時にスプーンは使わない。そういう訳で、私のデスクの中には常に大量のスプーンがストックされているのだけれども、これを持って帰らないといけないのだ。

他にもデスクの中に鎮座している大量の資料を全部シュレッダーにかけないといけないし、やることは本当にたくさんある。何とか綺麗に去りたい。


家に帰る。例によってホルモンの影響か、何だか家族に対して無性に苛立ちを覚える。

夕飯の後、母が「保険を見直すんだけど」と切り出す。その話は前々から聞かされていたので「うん」と生返事をする。

「私たちが死んでも1円も出ないけど、それでもいい?」

いや、「それでもいい?」って聞くけど、別に私に拒否権ないでしょうよと思った。
そこで私が「いやそれじゃ困る。きっちり死亡保障をつけろ」と言ったところでどうせ「でも保険料がねえ……」みたいな話になるのは目に見えているのだ。

母は続ける。

「まあお葬式とかもそんなちゃんとやらなくていいから」

正直言って無論そのつもりである。
もともと冠婚葬祭への意識がとてつもなく低いので、はっきり言って到底自分のモチベーションが追い付くと思えない。

こう言っては何だが、仕事柄人付き合いの多い父については母が存命のうちに葬式をあげたいと思っている。私にはその場を取り仕切るだけの気力も根性もない。申し訳ないがそこだけは本当にどうにかこうにか母にやって貰わないと無理だと思う。

今少しネットで調べたら、死亡保障はそんなに必須ではないらしい。というか、よくよく考えたら母は10年前くらいまで保険会社に勤めていたのでその辺りはまあ多分大丈夫だろう。多分。そう思うことにする。

 

週末に人の家に入り浸っている生活をしていると、実家の居心地の悪さに少し驚くことがある。
家族とは学校と同じように閉鎖された空間で、もうずいぶん長いことそれが全てなのだと思っていた。けれど、私は自分の居心地のいい場所を外につくっていかなければならないし、何よりそうしたいのだとやっと気付いたのだ。

幸い、今はシェルターのような新しい居場所がある。この先どうなるか分からないけれど、無理のない範囲でその居場所を守っていきたい。

曲がりなりにも大人なので

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土曜日、谷中銀座からスタートして千駄木~根津あたりを散歩。

谷中のあたりには、学生時代にたまに来ていた。もう行き方を忘れてしまったが、あの辺りにはかき氷の有名店「ひみつ堂」があって、当時付き合っていた人と授業の合間に食べに行ったりしていたのだ。

とはいえ、谷中銀座で買い食いするのは初めてなので、とても新鮮な心持ちだった。気の合う人間とする食べ歩きはいつでも楽しい。

入ってすぐのお店で、イカ焼きを買って食べた。イカ焼きというとイカの身を串に刺して焼いたやつを想像したが、どうやら違うらしい。

小麦粉とイカとチーズを混ぜて焼いたたこ焼きのようなものにマヨネーズがたんと掛かっていて、それを駄菓子屋で売っているあのピンク色で大判のえびせんで挟んだものを頂いた。もちろんうまい。暴力的な味がした。基本的に2人ともすぐ食べるので写真はない。

その後もお惣菜屋さんでゲソのから揚げとか焼き鳥とかそういうジャンキーなジャパニーズ・フードをたくさん食べた。これも例によって写真はない。

私はこういう時、絶対焼き鳥を買う。大抵皮かもも。皮焼きは罪の味。
対して同行者はカニクリームコロッケを買って食べていた。自分では絶対チョイスしないなと思いつつ一口もらう。これも間違いなくうまい。

商店街の突き当りに魚屋さんがあって、そこで海鮮の串焼きを売っていた。同行者が前もって目をつけていたらしく、ウッキウキで牡蠣の串を買っていた。
私はエビとホタテ。どちらもおいしかったが、ホタテは肝の部分がちょっと苦手な味だったので食べてもらった。貝柱は無論うまい。

 それから谷中霊園でお猫様に触らせてもらって、お散歩ビンゴなる遊びをしながら少し歩いた。要は街中で見つけたものをあけていってビンゴをするというだけの遊びなのだが、なかなかどうしてこれが結構楽しい。こういう遊びに付き合ってくれる相手は貴重だ。

「ビンゴごとにお互い1000円ずつ貯金して、次どこかに出掛ける時にそのお金で少し贅沢をしよう」

そう相談して始めたけれど、別れ際にはそんなことすっかり忘れて帰った。というか、その前に私はこの日の飲食代も踏み倒している。早く返さないといけない。


インドア派の人間の散歩は長くは続かないというのは定石である。なので、そもそものプランにしっかり「喫茶店で休憩」というフェイズが盛り込まれている。

千駄木駅付近には小さな喫茶店がたくさんあって、いくつか見て回ったあと、ネットで見た店内の写真を気に入ったお店に入った。レモネードがおいしい。2週間後に行く旅行の計画を立てながらゆっくりした。

 

1時間半くらい座って気力が回復したので、飴細工のお店に向かう。手作りの飴細工を実演販売してくれるお店で、いのししを作って貰った。理由はかわいいから。「来年の干支だし」というのは完全な後付けである。

実演の間は職人さんがガラス越しに工程を説明してくれるのだけれど、作業の途中まで店内には他に客がおらず、静かなフロアに我々の「へー」「すごい」といった平坦な声だけがぼうっと響いていて少し申し訳なかった。とはいえ、私の身体はこういう時に「へぇ~!」「すごいですね~!」「そうなんだ~~!」と情感たっぷりに反応できるようにはできていないので仕方ない。

いのししはでっぷりとした胴体と短い手足がかわいいのだが、作る工程は丸めた飴に切り込みをいれていくという結構シンプルなものだった。

「次は鳳凰にしますか」
「タコも良さそう」

次回はもう少し複雑なやつを作ってもらおうかという話をしたが、谷中の方には自分で飴細工を作れるワークショップを開催している店舗もあるらしく、今度はそっちにも行ってみようということになった。


それから「木村屋」という駄菓子屋に行った。こうして改めて行程を書き出してみると、それなりに色々なところを回ったなと実感する。

木村屋さんはザ・町の駄菓子屋さんといった趣のある佇まいで、我々が着いた時には地元の子供たちが親子連れで駄菓子を買いに来ていた。
店内が恐ろしく狭く、大人はおろか子どもすら満足に擦れ違えないような様相だったので、駄菓子を選ぶ子どもたちの波が去るまで入口の横のところで待つことにした。曲がりなりにも大人だから。

見ていると、子どもたちは貰った100円の中で何を買うかを一生懸命に計算している。限られた資金でいかに満足度を上げるかを考える姿が微笑ましい。いいものを見させてもらった。
買ったお菓子を入れてくれる袋もチラシを糊付けして作った包みで、ここは本当に2018年の東京だろうか?と疑いたくなるようなノスタルジーがそこにあった。

店を出た後に「子どもたちからしたら金にものを言わせて好きなだけ買いやがってって感じでしょうね」という話をした。曲がりなりにも大人なので、駄菓子屋でなら合計金額を気にすることなく欲しいものを好きなだけ買えてしまう。実施、結構買ったかなと思ったけれど、300円いかないくらいだった。これには大人である私もニッコリである。


大分日が落ちて、夜は予約していたタコ料理のお店。
たこわさを頼んだら酒粕で和えてあるらしく玄人向けの味だったので、「我々には早かった」と言った。2人とも酒粕はあまり好きではない。

タコ天、当然うまい。タコの踊り食い、面白い。吸盤が口の中に張りつく。こう言っては何ですが動かなくなったあとは普通のおいしいタコのお造りです。

そして問題の明石焼きである。

ふわふわとしていてタコがいっぱい入っていて、あたたかいだしにつけて頂く。何を食べているのかよく分からず脳が混乱したが、やさしい味でうまい。

でも一番おいしいと思ったのは白身魚のお造りの盛り合わせでした。お刺身が好きだからね、仕方ないね。

 

そんな感じで帰ってから商店街で買ったお惣菜の残りを食べて早めに寝た。買った駄菓子も全部その日の夜に食べてしまった。

書いたもの以外にも根津神社に行ったりとか(鳥居がたくさんある神社なので「京都の伏見稲荷ジェネリック」と言ったら笑われた)、猫のしっぽを模したドーナツを買って食べたりとかもした。

出不精の私でもまた行きたいと思うくらい楽しくてうまい散歩でした。やっぱり食べ歩きと駄菓子は最高。

すべてを超越したネギ

昨日の日記で「落ち込んだ」と書いたが、案の定寝て起きたらそんなことはすっかり忘れていて、朝から粛々と仕事をした。

お昼は同期とつけ麺。あまり食欲に自信がなく、小盛りにする。

「小盛りはトッピングがサービスです」

店員さんがリストを見せてくれる。海苔、メンマ、味玉……他にもいろいろ。
こう言う場合、多分味玉が一番お得感を感じられるのだが、いかんせん私は味玉が好きではない。ネギにした。そのせいで、未来永劫口の中がネギ。ネギ。ネギ。

麺が太く、小盛りすら食べきれない。
申し訳ないなと思いつつ麺を少しお残しさせて頂き、つゆの中のチャーシューだけはしっかり食べて出てきた。いついかなる時も肉が好きである。

やらなきゃいけないことは午前に全て片が付いていたので、午後はゆったりと好きなことをして過ごす。(オフィスで?)
この場合の好きなこととは、購読中のブログを読みに行ったり、Webマガジンを読んでほうほうと新たな知見を得たり、ネットショップでかわいいランプシェードを探したりすることを指す。

 

昨日の夜は、付き合っている人と少し文字で話した。要するにLINEでちょっとお互いに長い文を送り合ったということである。

私はいつも「最終的に自分を一番愛して甘やかせるのは自分だけだし、それを他人に期待しすぎるのはよくない」といった旨のことをだらだらと言う。
それに対し、あちらは「他人に期待しすぎるといつかしっぺ返しをくらう」と言う。こういう話がポンと通じるのはありがたい。

ところで、私は「彼氏」とか「彼女」とか「恋人」とか、そういう言葉があまり好きではない。好きではないというか、自分から使うのに何だか抵抗がある。
それは多分私が「男女の仲」を求めていないからだと思う。欲しいのは人生の戦友(「とも」とルビ)であり、この生きづらい此岸を生き抜くためのパートナーだからだ。

かと言って「相方」なんて言うつもりもないし、ならいっそ「アベック」はどうかと思うけど、それはそれで一周回ってかなりしゃらくさい。しゃらくさいのは駄目だ。

色々模索しつつ、最近は人に言うときは「お付き合いさせて頂いている人」、モノローグでは「あの人」といった具合に落ち着いている。
どうやっても別個の人間なのだしそれくらいの離れ具合でいいな、と思う。

ノーモア気分のムラ

私はひとつの作業を行う時に「一通りやって抜け漏れを後から修正する」という方法をとることが苦手だ。どうしても、ひとつひとつを完璧にこなしてから次にいきたいと思ってしまう。

だから確認事項は逐一クリアにしてから次に進みたいし、質問があれば都度人に訊いてしまう。
もちろん最低限いくつかまとめるということはできなくはないのだが、どうにも気持ちが悪くてすぐにレスポンスが返ってくる方がやりやすい。

この性格のせいか(あんまり関係ないかもしれないけど)、私は大人になった今でも気を抜くとすぐに一色食べになる。少しずつ食べるという三角食べができないのだ。

 

こういうやり方は人によって本当に様々で、その違いから私は今日少し落ち込んだ。
慣れない仕事だったので、いくつかの不明点を都度人に質問していた。その際「逐一だとそちらも手間だと思うのでまとめて後でで良いですよ」と優しく言って頂いたのだが、私としては「ひとつずつ潰さないと気持ちが悪い」のだ。

けれど、それをそうと伝える訳にもいかないので、その後いくつかまとめて質問することにした。
回答待ちの間の、宙ぶらりんの時間がひどく落ち着かない。
多分どっちが正しいということではないと思うのだけれど、こういう時、私は自分のやり方に途端に自信が持てなくなってしまう。

使っていたソフトのトラブルも重なって、結局全体の作業が中途半端になってしまい、また落ち込む。
私には些か完璧主義なところがあって、そのせいで自分のメンタルを締めあげてしまうのだけれど、これはなかなか治らない。

 

明日はもうちょっと上手くできると良いな、と思いながら復旧しないソフトを睨む。
何だか申し訳ない気持ちでいっぱいで心がしんどくなってしまった。

今日は早く寝よう。ご自愛ご自愛。

切りすぎた髪はすぐには戻らない

髪を切った。多分5cmくらい。この数年はずっとボブの女をやってきたし、自分史上かなり短めであると言えるレベルだ。

切って貰った美容室に行くのは3度目で、担当は私よりもいくつか年上のお兄さんである。いまいち会話は盛り上がらないが(私が口下手なだけ)、腕は確かである。昨日はちょっと切りすぎじゃないかなと思ったけど。

その担当のお兄さんが突如タメ口になった。確か前回までは敬語を使ってくれていたと思う。
美容室に行くたびに思うのだが、最終的にどこかのタイミングで大体タメ口で話しかけられるようになるのは何故なのだろう。

私は基本的に家族と仲の良い友達以外には年下であってもまずは敬語を使う。数ヶ月に1度しか会わないような関係であれば尚更だ。
何なら年上の人に対しては敬語の方が話しやすいくらいで、別段「敬語=よそよそしい」と思ったことはない。

でも、多分世間一般的にはそうではないのだろう。実際、マッチングアプリで食事をしたうちのほとんどの相手がこちらが年下と分かると途端にフランクなタメ口で話し掛けてくるようになった。

私はそういう態度についてすかさず「礼を欠いている」と思ってしまうタイプの人間なので(某氏に「そういうところが良い意味で面倒くさい」と言われたことがある)、初対面に近い相手と敬語なしで話すのがすこぶる苦手なのだ。


それにしても、お兄さん、切りすぎである。確かにショートっぽく顎くらいまで切ってくれとは言ったが、毛先は余裕で顎に届いていない。前髪もかなり短くなってしまった。

早く伸びないかなあと思いつつオフィスで鏡ばかり見ているので、メッタメタに自意識過剰な人のようになっていて恥ずかしい。
今夜も人に会うのにな、と少々憂鬱になりつつ、それ以上にその人といくお好み焼き食べ放題に胸が躍っている。

参鶏湯に鷹の爪を入れ過ぎてはいけない

一昨日、1600円のパンケーキを食べた。

おいしかった。だが量が多かった。
甘いものは嫌いではないのだが、いかんせん量が食べられない。ケーキは半分で満足するし、洋酒の風味やナッツなどもあまり好きではないので、基本的にシャレオツなスイーツは胃が頑なに受け付けてくれない。

パンケーキ屋の向かいに安いお惣菜屋さんがあるのは確実に我々に財布を出させるための巧妙なトラップとしか思えなかったが、ならはめられてやろうじゃないのと唐揚げと焼き鳥を買って食べた。べらぼうにおいしかった。1600円のパンケーキは1本50円の焼き鳥に負けたのだ。そういうこともある。Life is beautiful.

 

冬、それは鍋の季節。という訳でパンケーキでもたれた胃を抱えながら粛々と鍋の準備をする。参鶏湯である。

白菜、水菜、ニラ、ネギ、エリンギ、鶏肉ときて何かが足りないことに気付いたのはもう買い物を終え帰宅した後だった。ハッとして言った。

「豆腐を買えばよかったね……!」

自分の口から思ったよりも大きな声が出てびっくりしたが、それくらいハッとしたのだ。何せ私は鍋の具材では肉の次に豆腐が好きだ。

豆腐のない参鶏湯はやはり少し味気なかったが、2時間ほど煮込んだ手羽はいい具合に柔らかくなっていたし、キノコ代表として投入したエリンギも美味しい。

ただひとつ少し失敗したことがあるとすれば、後先考えずにまあまあの量の鷹の爪を投入してしまったことだ。

そのせいで参鶏湯にしてはホットなお味になってしまったし、スープを嚥下した後の喉に刺すような刺激があった。(「頭痛が痛い」と同様の現象が起きている文面)

 

でも、冬はやっぱり鍋である。無印良品やカルディコーヒーにはなかなか珍しい鍋スープが売っているので、色々試してみようと思う。

次は勇気を出してビスク鍋なるものに挑戦してみようかとも話したが、洋風スープに合う具が分からないから難しそうという結論に落ち着いた。