WAIS-Ⅳを受けた話

ふと思い立って、先日某心療内科で「WAIS-Ⅳ」なる心理検査を受けてきました。先ほどその結果を聞いてきたので、自分の気持ちの整理とネットの海への放流を兼ねて、忘れないうちにブログに書いておきます。

結論から言うと、「健常者と比べて自閉症スペクトラムの傾向がある可能性が高い」とのことでした(各種数値など詳しいデータは後述します)。面談してくれたお医者さんは断言はしませんでしたが、素人なりにいろいろと調べてみた結果、「これ普通に結構傾向強めなんじゃないの…? 」という印象です。本当のところは分からないけどね。ワッハッハ。

もちろん心理士さんやお医者さんによって結果の出し方や読み解き方は違ってくるとは思うものの、心情的には「分かったことで大分楽になったなあ」という気持ちと、「言うてもそんなに結果は出ないんじゃないかと思っていただけに意外」という気持ちが半々といったところ。まさかこんなにくっきり出るとは、というのが正直な感想でした。

 

■検査を受けたきっかけ

よく言われる「生きづらさ」のようなものを感じ始めたのは、たぶん高校生くらいの頃から。周囲の会話に馴染めなかったり、世間話がうまいことできなかったり……そういう日常生活への漠然とした困難さを抱えたまま大人になり、社会に出てそれを一層感じるようになりました。

忘れ物や遅刻も日常茶飯事。物をどこに置いたか分からなくなって機嫌が悪くなる(自分で自分をコントロールできなくなる)こともしばしば。周囲の音や光にもやや敏感らしく、大きな音や突然鳴る音が苦手なので、電車やバスで移動する際にはヘッドフォンをつけていると安心します。

 

上記のような症状のせいか、社会人になって1年ほど過ぎた頃から心療内科のお世話になるようになり、適応障害の診断がおりたり急に泣き出したりと情緒が不安定な日々を過ごすこともありました。これについては持病(バセドウ病)の影響も少なからずあるとは思うのですが、とにかく大多数のみんなが普通にできている(ように見える)「毎日会社に行って仕事をする」ということが精神的に大分しんどかった。

今となっては笑い話になってしまっていますが、飲み会が嫌すぎてトイレにこもって泣いたり、「何でみんなができてることが普通にできないんだろう」という考えに囚われて就業中にトイレで泣いたりとかもよくありました(トイレで泣きすぎ)。

 

 自覚している自分の特性をまとめると、下記のような感じかと思います。

コミュニケーションが苦手
→極論他人の話に興味がないので、世間話のような一般的な会話が上手くできない。複数人の会話になるとどこで話していいか分からず黙ってしまう

初対面の人や新しい環境が苦手
→急な変化に弱い。予定変更によりパニックになるところまではいかないが、許されるなら同じことをずっとやっていたい

忘れ物(物の置き忘れ)や遅刻が多い
→先を見通せないので手に持っているものをぽんぽん変なところに置いたり、出掛ける時間ギリギリに別のことを始めたりしてしまう

感覚過敏(主に音)
→寝るときは本当に無音じゃないとなかなか寝付けなかったり、人の話し声や大きな音が苦手。また、他人の生活音がすごく気になってしまう

耳からの情報を処理するのが苦手
→筆記に比べて英語のリスニングのテストができない。集中して聴覚情報を拾うことが苦手なのでラジオや動画がダメで、全部文章で説明してほしいと思ってしまう

 

とにもかくにも、「みんなができていることがどうして自分にはできないんだ」という風に思考してしまうのが一番しんどかった。そんなこんなでADHDASDについていろいろネットで調べているうちに、「ぐだぐだ悩むくらいならいっそ検査を受けてみよう」と思うようになり心療内科へGO。

実は過去にも一度住んでいる市区町村の発達障害に関する相談所的なところにも行っていて、そこでは「学歴もあるし手先も器用そう(字がきちんと書けている)だしとてもそんな風には見えない」と言われていました。ただ、やっぱり単純に自分の得意不得意(特性)を知りたかったので、思い切ってWAISを受けてみることにした……というのが経緯です。

 

■検査結果について

さて、実際の結果がどんなもんだったかというと、各種数値は以下のようになっていました。

全IQ 112
言語理解 124
知覚推理 99
ワーキングメモリー 109
処理速度 102

「言語理解」と「知覚推理」の差がエグいよ~!がっつり25あるよ~!
各項目の詳しい説明は割愛しますが、気になる方はこっとんさんのブログ「WAIS-Ⅲの結果を元に自分を紐解いてみた - Fly!」に詳しく解説されてるのでそちらを読んでみてね(厳密にはWAIS-ⅢとⅣという違いはありますが)。

ちなみにグラフにするとこう。まあまあ凸凹している。一般的に、「どこからどこまでが障害」というのは一旦置いておくとしても、一人の人間の中でばらつきがあればあるほど生きづらさを感じやすいみたいです。わりかししっかり当てはまってるやないかい。

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私が受けたのはWAIS-ⅢではなくⅣの方だったのですが、たぶん高い数値と低い数値の差が15くらいある(ディスクレパンシー)と発達障害っぽいと言われてるっぽいです。素人なのでぽいぽい言う。思っていたよりも差があったので一応気お医者さんに聞いてみたところ、「一応医学的な意味で発達障害というアレは出ています(うろ覚え)」ということでした。

あと、お医者さんから「全然そんな風に見えなかったんですけど、実際やってみたらかなり凸凹のある結果でしたね」と言われてウケました。私もまさかこんなに凸凹してるとは思わなかったので、内心「だよね~!」つって手叩いて笑った。本当に、実際に結果を見るまで「言うても普通なんじゃないか?自分が甘えているだけなんじゃないか?」とわりと本気で思っていたので、マジか!という驚きが大きかったです。

 

続いて、下位尺度の各種の細かい数値のグラフ。

・言語性

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なるほど凸凹じゃねーの。同じ言語性IQの中でもかなり得意不得意がはっきりと出ていました。いや、素人知見なのでこの凸凹についてどれだけ理解できてるかっていったら本当に怪しいんですけど……。

特に「知識」と「算数」が低いのが本当に笑える。知識は世界史や日本史的、文学史などに関する問題が出たのですが、地理的な問題と世界史的な問題が何一つ答えられなくて積んだし、算数は言わずもがな。文章を耳で聞いて計算するという苦行だったので、もともと耳からの情報に弱い私にスラスラできる訳がなかった。後半はほとんど「分かりまてん!」を連呼してました。受験者として最悪ムーブすぎる。

基本的に、口頭にしろ文章にしろ「言葉で説明する」ことは得意なのですが、耳から曖昧な情報を聞いて処理したり意図を汲みとったりすることは苦手みたいです。それがコミュニケーションへの苦手意識に繋がっているんじゃないかな、と心理士さんのレポートに書いてありました。

 

動作性

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 凸凹アゲイン\ドッ!/。最早どの項目がどの問題だったかうろ覚えなのですが、「行列」は多分目で見て類似性を探すみたいなテストだった気がする……覚えてないけど……。「記号」も同じような感じで、類似性を探すやつかな? これは自分では結構できたと思っていたのでそこまでではなくて意外でした。

反対に、自分ではすごく時間が掛かったと思っていた「積木」はそこそこ高めの結果に。「符合」は目で見て脳内で処理して手を動かして書くみたいなやつで、これは処理速度に関わるのかな? そこそこ得意な分野だったので、高めに出てました。

動作性については正直自分でも何が得意で不得意なのかは微妙だけど、レポートによると「視覚的な探索や照合が苦手」らしいです。これは探し物を永遠に見つけられないところを見ると納得かなあ。スーパーとかで棚から買いたいものを探したりするのも苦手だし。目の前にあるのに気づかないみたいなことが本当によくあります。

 

 

■テストを受けてみて

という訳で、検査結果上は発達障害の気がありそうという形に落ち着きました。断言されなかっただけで、実質医学的にはアレがアレしてるらしいし……。とはいえ、気持ち的には本当に楽になりました。WAISは発達障害をビシッと診断するためのテストではないのでもちろん鵜呑みにするのはアレなのですが、それでも「ああ、やっぱり自分にはその気があったんだな」という気付きにはなったので、それだけでも受けた価値があったかなと思います。

ただ、これ能力が平坦な人なんていないんじゃないですかね……? みんな何かしら凹凸はあるだろっていう。そう思うのは私がそういう脳みその作りをしているからなのかな~。高低差が25あるって時点で定義上は「一般的」じゃないんだもんな……いや普通って何……?(堂々巡り)

何にせよ、自分の漠然とした生きづらさのようなものに一つの指標ができたことは私にとって喜ばしいことでした。もちろん「自分はこうなんだから仕方がない」とあぐらをかいてはいけないけれども、過度に「どうして自分にはできないんだ!」と悩んで泣いちゃう夜は少なくなるんじゃないかなと思います。泣いちゃうのは本当につらいからね……。

という訳で、備忘録も兼ねたご報告ブログでした。もし私と同じような症状に悩んでいて検査を受けるか悩んでいる方、そもそも検査の存在を知らなかった方などなど、ほんの少しでもネットの海を漂流している誰かの助けになれば幸いです。

みんな、自分という方舟で人生をいい感じにライドしていこうな!!

近況報告と野良猫と私

またブログが1年空いてしまった。年末になると決まって精神をおかしくするルーティンが出来上がってしまっていて、今年も1週間前くらいから鬱々とした気持ちが続いて仕事が手につかなくなっている。

 

■近況と仕事について

年末になると決まって仕事がしんどくなってしまう。去年もそうだった。今年に関して言えば甲状腺の数値は安定しているし、去年ほど病気の影響は少ないだろう。

自分のやる気ゲージのようなものはたぶん1年が限界なんだろうなということは薄々感じている。同じ環境に1年いると、仕事の内容や同僚の如何にかかわらず、何か糸のようなものがぷつりと切れてしまって会社から足が遠のいてしまう。

そうして足が遠のくと、自分だけが仕事から置いて行かれているような気分になり、余計に塞ぎこむという悪循環が始まる。こんなに仕事が続かないのは自分がただ甘えているだけなんじゃないのかとか、やるべきことが全然できていないのに休んでばかりで同僚に申し訳なくないのかとか、そういう感情が押し寄せてくる。無理だ。つらい。これを書いている間もエグエグ泣きそうになるのを寸でのところでこらえている。

結局のところ、常に「働かなければ生活できない」という事実に殺されそうになっているだけなのだが、それだけのことがこうも重くのしかかるとは……と途方に暮れている間に一日が終わる。ここ一週間と少し、毎日それの繰り返し。これって普通ですか?みんなもそう?もう何が自分の甘えで何がヤバい状態なのかが日に日に分からなくなってきている。

同居相手がそういう自分を責めずにいてくれていることと、元気がないのを見計らってつくった料理を誉めてくれたりするので何とかやっていけているが、ベースの部分でしんどいことに変わりはないのでまだ暫くしんどい日々は続きそうだ。えいやっ!と全部投げ出してしまいたいが、ともに暮らす猫氏のために踏ん張らねば。

 

■野良猫氏について

理由(ワケ)あって、捕獲!と相成り一緒に暮らし始めた野良猫氏ですが、推定1~3歳ということで人に慣れやすい期間を遥かに過ぎ去っているため、現状は立派な家庭内野良と化している。別にどろどろに懐いて欲しいとは思っていないのでその点は特に気にしていないのだが、どうしても夜鳴きがひどく、毎日のことなのでそれが結構精神的にきている。

まだちょうど1か月経たないくらいなので特段異常なことではないと思いつつも、野良猫と暮らすのははじめてなので、色々と必要以上に過敏になってしまっていてそれが前述の精神的な不調にも多少影響していると思われる。

当の猫氏自体は本当にかわいくて、早くこの家で安らげるようになってくれたらいいなあと毎日祈っているのだけれど、それだけに本当にすごくすごーーーーく精神がすり減ってしまう。もう放っておくしかないので家にいないで会社に行った方が良いのかもしれないけれど、それはそれでやっぱりすごくしんどくて、何だかどこにも居場所がないみたいな感覚に勝手に襲われている。

この猫氏を捕獲するとき、私は「この子のことだけは絶対に最後まで投げ出さない」と強く決心し、それだけは絶対に捨ててはいけないと今でも思っている。その一方で、「せめて夜鳴きだけでもなくなってほしい」とか「もうこのままずっと人間に心を開いてくれないんじゃないか」とかそういう人間のエゴ的感情も持ち合わせており、その自己矛盾で心がずたぼろになりかけている。

同じように成猫の野良を保護した方のブログなどを読んで、みんな同じ思いをしてるよね、そうだよね、と自分に言い聞かせつつ、常に脳内に多方向の考えが飛び交っており情緒が不安定だ。心療内科受診待ったなし。

でも、それでも、猫氏に罪はないしほんと~~~~~~~~~にかわいいです。くしゃみしてもかわいいし、ご飯食べてもかわいいし、ただ座っているだけでもかわいい。猫氏本人が特に問題なくご飯食べたりトイレしたりしてくれてるのが本当に唯一の救いだ。とっ捕まえておいて本当に恐縮ですけども、健やかでいてね……。

去年も退職エントリを書いた記憶がある

12月31日付で会社を退職する。務めたのは1年。1年だ。今さら何を言っても覆すことができない事実として、私は今年1月に入社した会社を1年で辞める決断をした。

「1年しか経ってないのに」と自分でも思わなくはないが、この1年は本当に自分の人生の中で最もアップダウンが激しかった年であり、引っ越しや転職などのイベントに加え、特に下半期はメンタルの調子を崩して通院したり持病が再発してまともに働けない状態になったりと散々な日々を送っていた。幸い今はメンタルの調子は落ち着いているが、体の方は引き続き健常とは言えず、満足に外に出ることもままならない日々が続いている。

何やらひどく後ろ向きな出だしになってしまったが、実際のところ、今回の退職は自分にとってさほどネガティブなものではない。拾ってもらった会社に対して何だその言い草は、というところではあるのだが、私自身は今回の決断を後悔している訳ではないし、社の皆さんもとてもあたたかく私の気持ちを受け止めてくれている。それはとてもありがたいことであり、勝手にも「一度全部の荷物を下ろしてしまいたかった」と語る私を肯定してくれた社員さんがいたことは、大きな救いとなった。

 

とはいえ、だ。1月からどうやって稼いでいくか、そこのところははっきり言って全然決まっていない。漠然と「文章で食べていきたいな」という気持ちはあるし、本来であればまた接客の領域に足を踏み入れるつもりだったのだけれど、11月に発覚した持病の件もあり暫く肉体労働は厳しそうだ。在宅ないし近場での勤務をメインにどうにか組み立てていきたいところだが、そういうぼんやりとした方向性が決まっているだけで、特にこれといって明確なビジョンがあるわけでもないので困った。

もともと関わっていたメディアの方は引き続きライターとして携わらせていただけるのでとてもありがたいのだが、それ以外の部分が自分でもいまいち見えていない。自分の本当にやりたいことって何だったっけなあ。いろいろなことに興味があるフリをしながらも常にすべてに対して諦めてしまう癖がある自分は、いったい何に本気になれるだろう。

今回会社を辞めたのも、10年後20年後に「自分は何者にもなれなかった」と後悔したくなかったからだった。けれど、蓋を開けてみれば、ただ「フリーランス」という肩書に憧れていただけだったのかもしれない。

何にせよ、お金がない。お金がないのだ。誤解のないように書いておくと、まったく貯金をしていないということではなく、むしろ手の届かないところにお金を貯めている結果手元の残高が寂しいことになっているという状況である。本末転倒感が否めないが、そういうことなので、保険料、年金、家賃に生活費などの仇敵とバトりつつ、それなりに満ち足りた生活を送らねばならない。が、現時点でハードルはエベレスト並みに高い。

働くということはつくづく難しいですね。やる気がないのでは?と言われればそれまでですが、私は私でいつも脳内が多動で一つのことに集中できないし、好きなことだけやってたいんだけど、それもままならないなあ。家で一人の時間には、そんなことをよく考えている。

書きながら、そういえば病院で診断テストを受けようと思っていたことを思い出した。カウンセラーさん曰く、ややASDの傾向ありとのことだが、実際のところは分からない。ただ、私が幼いころから空間認知に問題を抱えていたり、耳からの情報をうまく処理できなかったり、環境音が気になって眠れなかったり集中できないことへのひとつの答えが出るのなら、受ける価値はあるのかなと考えている。

 

今日はクリスマスイブ。同居人へは、ちょっとだけお高い枕を買った。これでぐっすり眠ってくれたら嬉しい。私は私で、学生時代に一目惚れしたもののそのあと結局買わずじまいになっていた指輪をリクエストしたりして、少なからず浮かれている。

お金はないけど幸せだし、幸せなのでもう何でもいいかなあと思い始めている。去年の今頃はLINEでひどい口論をしていたけど、一緒に暮らし始めてからそういう機会はない。お互いの齟齬をうまいこと自分の中でケリをつけつつ、うまいことやっていきましょうね。

9月のとある4日間の日記

2019.09.23

数歩歩けば風に背中を押される一日だった。

台風の影響で朝からびゅうびゅうと音を立てて強い風が吹いているのを知っていたのに、まんまと買い出しに出かけてしまった。結果として髪の毛をぼさぼさにして帰ってくる羽目になって、そういうままならさこそが生活そのものだな、などと考えながら汗をかいた。

昨日は少し同居人との関わりの中で嫌なことがあって、思い返してみれば本当に些細なことなのに、その時の自分にはそれがどうしても許せなかった。こういうことは多々ある。私の場合は幸いにも一晩眠るとけろりとしているということが多いのだけれど、ふとした瞬間に「何だこいつ」と思ってしまうとそのあとの感情に歯止めがきかなくなってしまう。これもどうしようもないままならさ。

相手の言動に対するやりきれなさとか、この人と一緒にこれからもやっていけるだろうかという寄る辺のない不安は、眠っている間にどこに消えていくのだろう。もしかしたら消えているのではなくてただ見えなくなっているだけで、いつか津波のように押し寄せて私をあっという間に飲み込んでしまうのだろうか。

人と暮らすということは。自分自身を少しずつ少しずつすり減らしながら、相手にぴったりの形になるように己の輪郭を変化させていくということだ。我慢できない部分や気になってしまう部分に目をつぶれば自分の心が疲弊するけれど、それと同時に外側はどんどん相手との暮らしに馴染んでいく。そして、その危うい均衡の先に何があるかはきっと人それぞれだ。

誰かと一緒に生きていくなんて、どうしようもなく不安だ。樹木希林が似たようなことを言っていたのを覚えているけれど、こんな不安なこと、正気じゃ絶対できない。

このままで大丈夫だろうか、大丈夫でいたいな、できるかな。そんな風に考える毎日だ。寝て忘れて、起きたら二十年くらい先の未来の穏やかな二人に会えたらいいのに。

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09.24

同居人からの「頭が痛くて下痢がひどい」という連絡を受け取った。家に帰っている途中、体温計の画像が送られてくる。38.2℃。さすがにぎょっとして、簡単に口にできそうなゼリーを買って帰った。

横になっているとのことだったので起こさないよう気を配りつつ、つい先日にもこんなことがあったな、と思いながらシンクに溜まった洗い物に手を掛ける。一緒に住むようになって学んだことだけれど、彼は季節の変わり目や少し悪いものを食べてしまったときに人よりも体を壊しやすい。

起きてきた同居人が、「どうして自分の体はこうなんだ」とぼやくのがつらい。明日は絶対に休めない会議があるから仕事に行かねばならないという。仕方のないことなのだけれど、何だかやりきれなくて何も言えなくなってしまった。

自分が病気になるのもきついけれど、身近な人が苦しそうにしているのを見ているのも、体とはまた別の部分が痛い。ふと触れた背中や肩がいつもよりずっとずっと熱くて、ああこれはかなり熱が高いな、とそれ以上でも以下でもない現実を再認識した。どこまでも生きている。生きているからこその、熱さだ。

窓の外から聞こえてくる秋の虫の鳴き声をぼんやりと耳に入れながら、この文章を書いている。今回のもちょっとした風邪で、何日かでよくなったらいい。大げさだと思われるかもしれないけれど、熱を出す状態が続いたこともあって、大きな病気だったらどうしようと勝手に気を揉んでいる。底の見えない不安の沼に足をとられてしまいそうだ。

ありとあらゆる意味でいつまでも一緒にいられないことを知っているからこそ、健やかにいてほしい。早くよくなりますように。

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09.25

朝、家を出るのと同時に、私よりも先に出た同居人と玄関先で鉢合わせた。出勤するつもりだったが、病院に寄ってそのまま帰ってきたらしい。どう見てもふらふらの状態だったので、家で寝ていてくれた方が幾分か安心だ。

私は私で心療内科で診察を受けたりしていたのだけれど、ひとまず薬をやめてみましょうかという話になって少しほっとした。暫くは様子を見なくてはいけないけれど、また自分のペースを取り戻せたらいい。

いつからかこの時間はいつも窓の外で虫が鳴いていて、不規則に鳴るその音で眠れないなんていうことがよくある。眠りたいのに眠れないというのはまさに生き地獄で、目が慣れてしまってぼんやりと濃度の薄くなった闇の中で何をすることもできずぼうっとただ時間が過ぎるのを待つだけのあの感覚。今日は形のない不安に足をすくわれることなく眠りたい。

「本当のこと」なんて誰にも分からない、誰も知らない。意志だって、感情だって、理性だって、何が「ほんとう」なのかを断ずることなど誰にもできないと思ってしまうのは私の悪い癖だろうか。けれど、私たちの考えることや思うことに間違いも正しいもないんだと、そう思っていないと到底正気で生きてなどいけやしない。

夜が更けていく。

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09.26

自分は自分で思っていたよりもずっと世話焼きなのかもしれない。
冷えピタの交換だの検温だのと何かと理由をつけては相も変わらず胃腸炎で床に伏している同居人の部屋に忍び込んでいる。そろそろ鬱陶しいと思われるラインを越えてしまいそうだ。

同じ家に暮らす人間が体調を崩したとき、向こうも大人なのだから原則別に放っておけばいいのだと思う反面、自分自身が未だに甘ったれなせいで「苦しかろう、心細かろう」と無駄に構ってしまうきらいがあっていけない。病気で気が弱くなっているときは誰かが家にいてくれるだけで嬉しいし、「つらいね」と気に掛けてくれるとほっとする。そういう時のことを思い出して、つい何かしてあげたいなどと思ってしまうのだ。

とはいえ、現実問題、腹が痛い痛いとベッドの上でじっと地蔵のように動かなくなっている肉体に対して私ができることなどほとんどない。「体が思うように動かないのは歯がゆいよねえ」とか声を掛けながら申し訳程度に腹をさするのが限界だ。

体調を崩して高熱を出した彼に対峙するのはこれで三度目だけれど、未だにどこまで気に掛けるべきか距離感に頭を悩ませている。

一度目は、出会ってまだ三、四か月のころ。「私が看病しなきゃ」という自分勝手な義務感に駆り立てられて無駄に張り切ってしまい、後日「何もしてくれなくていい」と真っ向から伝えられて狼狽えた。その言葉は「自分に対して何もしてくれなくていいけれど、その代わりあなたに対しても必要以上には干渉しない」という向こうのスタンスから放たれたものだったが、今考えると道理だなと思う。別に放っておかれたって、風邪なんて数日も寝ていれば自然と治るのだから。

二度目はついこの間で、三度目は現在進行中だ。一緒に暮らし始めると相手の存在が否が応でも自分の生活の一部になるので、買い物に行けばどうしても「ゼリーを買い足しておこうか、スポーツドリンクも買っておこうか」などと考えてしまう。
向こうも向こうで、さすがに近くに物理的に頼れる人間がいれば頼らざるを得ないらしく、私はちょこちょこおつかいを頼まれたりしている。あんまり頼りすぎると罪悪感が募るようだけれど、何を今更、こちらは普段分担している家事をこの数日間すべて一人でこなしているんだぞと思ったりもする。人を頼ったり頼られたりするのって、決して簡単なことじゃない。

反対に、私が寝込んでいる場合にはこちらが頼まなくてもゼリーを買ってきてくれたり労りの言葉を掛けてくれたりする訳であって、やはりそれは私にとってとてもありがたい。当然ながら、「一緒に住んでいるんだからここからここまではやってあげなきゃダメ!」という物差しもなければ「そこまでしてやる必要はない!」という線引きも存在しなくて、結局は当事者たちの間のギブアンドテイクのバランスでしかないのだろう。

散々ちゃんと人を好きになれている自信がないと思っていた自分がこれだけ見返りなど関係なく相手を思いやれるようになっているのだから人生何が起こるか分からない。あまり世話焼きお節介婆のようにならない範囲で、ことあるごとに彼の腹をさすって過ごそう。

本のページに挟まったなんてことはない人生

2019.09.22

「買い取ったトールペイントの本にね、図面を写した薄い紙が挟まっていたの。本当は抜き取らなきゃいけないんだけど、そのままにしちゃった」

そう話してくれたのは、久しぶりに会った前職の先輩だった。彼女は前の職場を退職して、今は古本屋に勤めているのだと聞いた。

本には、持ち主の暮らしぶりや人となり、人生が染みついている。物置の隅に置き去りにされて埃を被っていた本も、本棚の中で眠り続けていた本も、そのページには、文字だけでなくかつてその本をめくっていた人の生活も一緒に記されている。

こういう良さはやっぱり紙の本にしかないよね、と誰かと感覚を共有できるのはとても幸せなことだなと思う。持ち込まれたトールペイントの本に図案を写した紙が挟まっていたこと、彼女がそれをそのまま売り場に陳列したこと、そのすべてがたまらなく愛おしい。

いつか、その本に触れた誰かも、同じように感じてくれたらいい。かつての持ち主の生活を、ほんの一秒でも思ってくれたら。

何の当事者でもない私がこんな風に思うのは滑稽かもしれないけれど、たった一枚の薄い紙に滲んだ顔も名前も知らない誰かの何気ない生活が、少しでも次の誰かの心の隙間に入り込んでくれたらいい。そんなことを祈った午後だった。