今はまだすごろくの2マス目くらいのところにいる

f:id:ynynmsms:20190403230318j:image

3月23日、引っ越した。最低限の家具と、洋服と、布団を持って、私は実家を後にした。なんかもっと感動とか、そういう情動があるかなと思っていたけれど、特に何もなく日々は過ぎる。ともあれ生活は続くので、振り落とされないように目先のことに集中して、ひとつひとつ確かめながら歩いている感じだ。


他人との生活は意外にもどうにかなるもので、むしろ今のところは私よりも相手の方がひとりの時間を求めているようにも思える。年始には私が発狂していたのに、今のところそういった予兆が見えず、不思議だ。自分で自分の感情のバイオリズムが分からないのは単純に不便だなと思う。


住み始めたこの物件はもともと大家さんの親族が小さなお店をやっていた部屋で、そこかしこにリノベーションの跡が残っていて、カウンターキッチンがあったり部屋の壁が赤かったりとなかなか面白いことになっている。そして、私たちはそういうところが気に入ってここに決めたのだ。木造なのでめちゃくちゃに寒いという点を除けば、今のところ大きな不満もなく暮らせている。


職場もうんと近くなった。前は電車を乗り継いで一時間半弱掛けて通っていたのだが、今はバスでスイスイ15分ちょっとで通勤できてしまう。こんなにイージーモードで良いんだろうか、と不安になるレベルで早い。当然、朝も格段にゆっくり寝られるようになり、ますます私の寝汚さに磨きが掛かっているところだ。


一緒に住むにあたって、私たちは「家賃の契約の件などもあるので絶対に一年間は何があっても一緒に住む」という約束をした。この一年間が穏やかなものであればいいなあと思う。私がこの家を出るのは、彼が私に愛想を尽かしたときか、私が彼をどうやっても人として好きだと思えなくなったときのどちらだろうか。そんな風に考えたりすることもあるが、そんなのは当然誰にも分からない話なので、変なことで深く悩み始める前にさっさと寝てしまった方がいい。


ブログの更新も、一ヶ月ほど空いてしまった。実のところ、まだ新居にはインターネット回線が来ておらず、この文章も布団に入りながらiPhoneで書いている。今、私はほかの何より通信制限が怖い。


昨日は目黒川まで花見に行ったが、桜というものに対して特別そこまで感情が動くことがなく、ただ川べりを散歩してきたみたいな形になった。花見に出掛ける度に、これは自分には向いていない行事だなと思う。

私にとって大事なのは桜よりもラーメンだ。そう、昨日はとても寒かった。寒い日にはラーメン。ラーメンが食べたくて仕方なかったのでそう強請ると、一緒にラーメン屋さんに行ってくれると言い、お言葉に甘えた。


頭の方でも書いたように、今日の彼は少しだけ様子がおかしい。おかしいというか、私との距離を測りかねているという感じだろうか。どこまでも人間と人間という感じだ。こういうぎこちなさが、いつか将来的に私を色々な意味で泣かせてくるような気がしている。ああ、悲しい終わりが来なければいいな。


私も私で自分が今のところ大丈夫だからと少し寄り掛かり過ぎたのかもしれないな、と考えつつ眠る。襖の向こうから彼の寝息が聞こえ始めて、こんな些細なことにすら、まぶたの裏まで涙がせり上がってくる。特に悲しくも、嬉しくもないのに。私も私で十分難解で、多分それ以上に単純なのだ。

干支を食べ脳がバグって笑い合いアパートメントで旅本を読む

f:id:ynynmsms:20190303002543j:plain

引っ越しの準備が着々と進んでいる。
物件が決まってから入居日がなかなか決まらずやきもきしていたが、結局「3月中ならいつでもいいですよ」ということになり、ばたばたとスケジュールを確認して3月末に引っ越すことが決まったのだ。

新しい家は会社にも近く、間取りもほぼ希望通りだ。自分の部屋は和室。布団で寝るのは久しぶりだが、何だか毎日旅館に泊まっているみたいな楽しさを味わえそうで今からわくわくしている。単純だ。この単純さで面白おかしく生きていきたい。

 

金曜日の夜は約1か月ぶりに氏と会う。私がやらかしたポカに対して頭ごなしにめちゃくちゃに怒られて私も大人げなくへそを曲げた。

磯丸水産でカンパチとほたての刺身を食べる。うまい。カンパチがすこぶるおいしかったので、何だか怒っているのが馬鹿らしくなって、ふざけた。実は内心このふざけが吉と出るか凶と出るか分からず怖かったのだが、向こうも少し感情的になってしまったと後悔していると言っていたし、最後は諦めたように笑っていた。それがいいことなのかどうかは分からないけれど、私はもうどこまでも私としてしかいられないので、そこは諦めてくださいねと常々思っている。

 

昨年末に谷根千を散歩したときに作ってもらったいのししの飴細工がそのままになっている。ずっと飾っていたのだけれど、引っ越さないといけなくなったので2人で食べた。甘い。こういう時、「あまい」と「うまい」は同義だ。

氏は歯で頭を噛みちぎったりなかなかアグレッシブな食べ方をしていた。「干支を食べているぞ」という心持ちが何だか良かったので、毎年の恒例行事にしたい。

 

土曜は昼過ぎに出掛けようね、と予定を立てていたが、結局2人で二度寝三度寝としてしまい、出発したのは夕方の4時とかその辺りだった。

1時半くらいに2人で同時に目を覚ました時に、お互いに顔を見合わせて「寝ちゃったね」と言い合ったのだが、その0.5秒後くらいにまた2人とも寝た。ああいう瞬間はいくつあってもいい。もしこの先我々2人が他人同士になったとき、私は多分あの一瞬のことを思って泣くだろう(何なら今も泣けそうなくらいだ)。

 

そうして新宿へ向かい、パスタを食べる。氏はお茶漬けパスタとかいうものを頼んでいた。食べながら笑っていたのでどうしたのかと尋ねたら、「パスタを食べると思って口に運んだらお茶漬けの味がして笑っちゃった」と言う。体験してみたくて一口もらったら本当にその通りだったので私も笑った。脳がバグる感覚を共有できるのは楽しい。

 

腹を満たしたあと、ずっと行きたかったTSUTAYA BOOK APARTMENTへ行く。
少し前にTwitterで同人作家向けのツイートがバズっていたせいか(どうかは定かではないが)、夜の時間帯でも女性専用エリアは埋まっていた。

pathee.com

5階のグランピングエリアで旅本を読む。精神年齢が幼稚園の頃から成長していないので本当はミッケがやりたかったのだが、絵本類は6階の女性専用エリアにしかなかったようだ。

男女共用部というだけあって、本当にどこを見てもカップルしかいない。視線の先でいきなり若い男女が熱い抱擁を交わし始めた時は「おっやってんな」と思ったが、程度の差というだけで我々も横に並んで寝転んだりしていたので沈黙を守った。

3時間はさすがにもてあますだろうかと思っていたが、やれ石垣島に行きたいだの瀬戸内海も良いだの言っていたらあっという間に時間が過ぎていた。色々な旅行雑誌をぱらぱらとめくっているだけでも楽しいし、何よりもyogiboの人をダメにするクッションに寝転がれるのが最高だ。

フリードリンクで永遠に紅茶やスープ類が飲めるのもいい。おれはオニオンスープなら何杯でも飲める。

9月くらいにふわっと沖縄の方にでも行きたいね、というところから始まり、どうせなら本島じゃなくて離島がいいねという話になる。旅行ガイドを読んでいたら石垣島に良さそうなホテルがあってそこに泊まりたいという話になったのだが、いかんせんお高い。

何かの記念であればお高い宿でも良いのではないかと思い「じゃあ新婚旅行ってことにしましょうか」と提案したところぽかんとされた。そりゃそうだ、別に結婚する予定など全くないのだ(とはいえ今回の引っ越しについては向こうが「結婚を前提に」と明文化しているのでそこまで突拍子のない話ということもないと思っている)。

今のと違う名字が欲しいだけなんだ、分かってくれ……という気持ちも表明したが、最終的には「気が早い」と言われる。こうなってくるともう何を言ってもゼクハラになるので今後はやめておこうと思った。別に変なプレッシャーを掛けたい訳ではないのだ。

 

久しぶりに心から幸福だなと思えた週末だった。これは確かに1人では味わえない感覚だ。こういう日があると、ああしんどい思いをしてここまで来て良かった、投げ出さないで良かったと思える。

毎日の不安にも終わりはないが、こういう小さな幸せも同じく終わりがないのかもしれない。終わりが見えないことは相変わらず怖い。せめて、今日のように忘れたくない日のことはこうしてここに残しておこう。

隣に誰かがいるのが怖い

f:id:ynynmsms:20190211223107j:image

特に何か大きな事件が起きるでもなく、毎日を粛々と生きている。バレンタイン商戦にまんまと乗っかって買ったベルアメールのチョコがおいしくて幸せだ。こういう些細な幸せを浴びるように摂取してポクッと息絶えたい。

 

平日は職場と自宅の往復、帰宅して23時頃までに寝る。夜更かしをしなくなって朝なかなか起きれないということは減ったが、相変わらずギリギリの電車に乗っているし、夜に映画を見たりする時間も減ったのでどうしたものかなと思っている。

休日は人と会って温泉に行ったり磯丸水産ホンビノス貝を焼いたり作ってもらったご飯を食べたりひたすらヨシヒコを見たり。明らかに疑いようもなく楽しく幸せな時間であるけれど、たまに2人でいることがどうしようもなくしんどくなることがある。

この手の話は既に何度もここで吐き出していて、もうそういうものですよと思って生きていくしかないのだ。ないのだけれど、何だか急につらい気持ちになってしまって、ずっと買おうと思っていたイヤホンを衝動買いしたりしている。

 

生活がどこまでもいっぱいいっぱいだ。何も不自由なく、仕事含め自分の出来る範囲で自分の好きなことをやっているつもりなのだけれど、どうしてかそんな風に感じることがある。

こうして愚痴ばかりこぼしていたって仕方ない、仕方ないのだが、昨日の自分の発言を延々と反省したり、あれはなかったなと落ち込んだり、そういうことばかりで時間が過ぎる。

気分のムラ。要は気分のムラがひどいのだ。かの宇多田ヒカルも「気分のムラは仕方ないね」と歌っていたけれど、定期的な周期でこういう気持ちになることがある。肉体とは、ホルモンとは、かくも余計な仕事ばかりするものだろうか。早く脳みそだけで生活できるSFの世界で生きたい。

 

自分の機嫌は自分で取らなきゃいけないし、藪で蛇をつついて落ち込んでいる場合でもない。その解決を他人に委ねるのはちゃんちゃらおかしい話で、私はまず誰よりも私のことを愛してあげなければいけないし、楽しくいられるように気を回してあげなくてはいけない。

やっていく、私はうまくやっていく。ひたすらにそう唱えながら電車に揺られている。最寄り駅まではまだ遠い。

唐辛子は野菜です

f:id:ynynmsms:20190129210043j:plain

先週の水曜日、生まれて初めてブータン料理を食べた。そもそもブータン料理と聞いてもどういうものなのか皆目見当がつかないのが普通だと思う。

一言で説明すると「唐辛子がめちゃくちゃに入った辛くて旨い肉と米」みたいな感じなのだが、スペアリブ(写真の左の方の肉の塊)が非常においしかった。あと餃子のようなもの(モモ?)もうまい。肉と小麦粉の組み合わせでうまくない訳がない。

店内に置いてあった「地球の歩き方 ブータン」に記載されていた『唐辛子は野菜です』というパワーワードには恐れおののいたが、食べてみると意外とそうでもないというか、普通にいけたしおいしかったのでぜひ。
でも最終的に私の中で優勝したのはラッシーだった。ラッシー、総合的にめちゃめちゃおいしかったです。

 

仕事の方にも大分慣れてきて、毎日楽しいなあと思いながら働いている。それは多分すごくありがたくて得がたいことなので、自分にできる範囲で頑張ろうと思いつつ粛々と働く。

身体のこともあるし無理をしないようにと思ってここ最近は毎日23時までには寝るようにしている。そうすると比較的朝が楽なのと、「早く寝たぞ!」という己への免罪符のようなものが獲得できていい。昼間にいくら眠くても、前の晩に早く寝ているのだからそれは自分のせいではないという心持ちでいることができるというのは大きい。

まだまだ人に読んでもらうようなレベルではないけれど、文章を書いたり、色々な人に会ったり、毎日がめまぐるしく過ぎていく。午後9時現在で既に眠いので、程よい疲れが正しく蓄積しているのかもしれない。それはすごく良いことだと思う。

 

昨日はものすごく久しぶりに写真に写った。プロのカメラマンの方に写真を撮られるなんて、成人式の前撮り以来ではないだろうか(そもそもそんな経験は人生にそう何度もあるものではない)。

写真があまり好きではないので、顔が写らないというのはとてもありがたい。と同時に、本当に最近きちんとした写真を撮っていないので、今死んだら葬式に飾る写真が全くなくて親族が困るだろうなと思った。

その瞬間がそのまま残るという意味で、写真ってやっぱり特別なものだよなあと思う。例えニコアンドでセールになっていたニットとめちゃめちゃ安く買ったスカートで写っていたとしても……。

すごく綺麗に撮ってもらったので(繰り返すが顔は写っていない)、記事になるのが楽しみだ。

 

日曜日、住む家が決まった。この物件が非常に面白くて、いろいろと書きたいことはあるのだけれど、これは実際に引っ越しが終わった後にしよう。

ただ、すごく私が好きそうというか、自分に合っているなと思える物件が見つかって本当によかったし嬉しい。そして、それを相手も気に入ってくれて、何の衝突もなく満場一致で気持ちよく決められたのもよかった。

引っ越しはほとんど初めてなので、来月は少しばたばたしそうだ。けれど、去年の年末からいろいろなことが一気にいい方向に動き始めていて、のっておかないと損だなと思っている。

自分と一緒に暮らすことを選択してくれる相手がいるというのはありがたいことだ。私には大した金も人脈も容姿も清い心も備わっていないが、多少のユーモアなら用意できそうだし、どうにかこうにかして楽しませるということは忘れないようにしたい。

本当はこういうことを面と向かって本人に伝えるべきなのだけれど、そういう点について私はどうにも駄目だ。すぐに茶化すし、面白くしようとしてしまって、本人にも他の人にも本当の気持ちを伝えられないでいる(そもそも本当の気持ちなんてあるのか?)。

せめて、どんな小さなことでもありがとうございますと感謝の気持ちを伝えることだけはできたらいいな、と思った。

そこで楽しくやっていくしかない

f:id:ynynmsms:20190121222835j:plain

時計を買った。刑務所のように必要最低限のものしかない自室が華やいだらいいな、とそんなことを思ってうきうきしながら持ち帰ったが、私はすこぶる詰めが甘いので壁に掛けるための道具がないことを忘れていた。

せっかく一目惚れして買ったのに、と残念に思いながら、仕方なく平置きされた時計の動かない針を見ている。これが動くのはいつだろう。壁に刺すピンくらいさっと買えばいいものを、「また今度でいいや」が積み重なって今に至る。

そんな風に考えていたのがつい4日前くらいのこと。人生とはまこと面白いもので、気付いたらトントン拍子に自分を取り巻く世界は変わっていく。それこそ坂道を石ころが転がっていくが如く、気付いた時には「あ、こんなところまで来たんだな」と後ろを振り返って懐かしくなったりするものだ。

恐らくなのだけれど、私は近いうちに家を出ることになるらしい。らしいというか、多分、十中八九そうなる。3日前にそう決まった。転職が決まった昨年末から、何だかずっと下りっ放しのジェットコースターを眺めている気分だ。

「将来的に、どこかのタイミングで一緒に暮らしましょう」

以前、そんなようなことを言ってくれたことがあった。私はと言えば、自分から「家を出たい」と打診したくせ、そのタイミングが今になるとは思っていなかった。

私がもう大分長いこと家族との接し方について少なからず頭を悩ませていることを理解した上で、そこから物理的に抜け出したいという意志を汲んでくれようとしている。それは何てありがたいことだろう。むっとすることも指をさして非難したくなることもあるけれど、私に向かう純粋な好意に感謝することだけは忘れてはいけない。そこだけは忘れたくはない。

生きていくだけ。あとはもう、生きていくだけだ。最近はそんな風に思う。自分で納得のできる仕事があって、少しずつだけど、決して上手ではないけれど、新しい家も作っていって。あとはもう、そこで楽しくやっていくしかない気がしている。

買った時計に、まだ電池は入れていない。新しい部屋ができたら、そこで初めてちゃんと動かしてみればいい。