似合わないサングラスを掛けてへらへらした

今週は何だかずっと寝起きが悪くて、今日もなかなか布団から起き上がれず、化粧もそこそこに家を出た。
最低限しか化粧をしていなかったのでマスクで出社。エレベーターで乗り合わせた社員さんに「それは何のマスク?」と訊かれ、「予防です」と答えたあとに(予防と寝坊で踏める)と思ったので「予防と寝坊です」とわざわざ言い直した。ここが五反田ディヴィジョン。

 

今日は久しぶりに一人での夜ご飯。家に帰ってからお風呂に入り、先日の残りのいかめしとかに玉を食う。両方とも素晴らしくうまい。うまいことは嬉しいし、将来年老いてご飯を自力で食べられなくなったらと思うと途端に悲しくなってしまう。それくらいうまいものを食すのが好きである。

 

毎月のささやかな楽しみであるマイリトルボックスの今月号が届いていてわくわくしながら開けた。アイライナーだったりコームだったり、今月はなかなか有用性の高いもの(ちょうど持ってなかったもの)が届いて嬉しい。

自分では普段は買わないような価格帯のマニキュアが入っていて、綺麗な色だったので早速塗った。つやつやだ。乾くのも早い。やっぱりいいものは品質がいいんだな……という学びを得た。いつもはキャンメイクです。バイト禁止の学校に通う高校生かな?

とはいえ、いわゆるプチプラコスメにも有能なものはたくさんあるので、キャンメイクだって全然アリだ。とはいえ、マニキュアについてはちょっといいものを買ってもいいかもなと思うようになった。

 

ボックスにはサングラスも入っていて、ピンクのフレームでものとしてはすごくかわいらしいのだが、いかんせんどうやっても似合いそうにない。似合いそうにないよな、と思って掛けてみたら案の定似合わなかったので心の中でへらへらした。

「サングラス 似合わない」で検索したところ、そもそも日本人は顔の作り的にどうやっても似合わないよ、みたいなことが書いてあって、それなら仕方ないなと諦めた。今後日差しの強い季節に海とか観光とか行くようなことがあったらちょっと掛けてみるかもしれない。

 

都内の方に引っ越してきて思うことは、自分は意外にも出掛けることが好きだということだ。今までは都内に出掛けるまで必ず一時間半くらい掛かっていたから、軽い気持ちで三十分以内で目的の場所に行けるというのはとても新鮮で、ここに行きたいあそこに行きたいとどんどん土日の予定が埋まっていくような気がしている。

土曜日は猫のアンティーク雑貨を集めたイベントに行って、ずっと気になっていた中野のお茶屋さんとホタテ料理の店に行く。素晴らしい日々。お金はない。ないけど、私が私として自分のことを好きでいられるように、びびびっと来たものは後悔のないように手元にお迎えしようと思う。

かなりゆるめのゼラチン質の大地に立っている

大分サボってしまっていた日記を書くことを少しずつ再開しようと思う。書くことで整理するというプロセスを経ないと精神が少しずつ少しずつ軋んでいく気がしたから。

 

GW前半は色々なところに遊びに行くなどしてとても楽しく過ごしていたのだけれど、後半はホームシックや同居人への不平不満(めちゃくちゃ身勝手なやつ)に襲われて連日泣きながら過ごすという有様で、その地点から何歩か上の方に浮上した今、非情に自己嫌悪に襲われている。

冷静に考えて、家の中にしくしくしくしく泣いているやつがいるのは鬱陶しいが過ぎるし、他者との関係性において基本的には良い方に作用しないだろう。頭では分かっている、分かっているのだが、どうにも一旦感情が奈落の底まで落ちてしまうとなかなか自力では立ち直れないのだ。24年とちょっと生きてきて、今が一番自分の精神をうまく操縦できていないようにすら思える。不甲斐ない。どこまでも不甲斐ないな。

 

今日は私が食事当番だったので明太子と大葉のパスタを作った。ネットで見つけたレシピの通りオリーブオイルを投入したらすごく主張が強くなってしまって、明太子を二腹も使ったのに微妙な仕上がりになってしまい残念。同居人はおいしいといって食べてくれたけど、それでもなお悲しかったので食後にポテチを衝動食いして精神の安定を図った。予定調和的に満たされてほっとする。その後ラムネまで食べたので、完全にお釣りがきた。こういう微々たる幸せ貯金が翌朝目覚めたときに効いてくる。

 

仕事を終えて夕食を作る前に歯医者に行ったのだけれど、病院に行くと自分の金で自分のメンテナンスをしているぞ、という気持ちになっていい。お金が掛かるので最終的に全く良くはないのだけれど、その場は満たされるというか、何やらそんな感じ。

それから、今日は朝からずっと「やっぱり眼鏡を買わないといけないな」と考えていた。眼鏡を掛けるのがあんまり好きでないのでここ何年かはコンタクトだけで生活しているのだけれども、いつものもらいなどになってコンタクトを入れられなくなるとも分からないのだしやっぱり一本は持っておかないと、と急に不安になったのだ。今度の土曜日に買いに行こう。あんまり好きじゃないアイテムだからこそ、ちょっと良いものを買いたい。なんとか諭吉が二人と半分くらいで収まってくれたら嬉しいなと思いつつ、週末を楽しみにしておこう。

 

文章を書くのが好きだ。何かを書き上げて自分の語彙の貧困具合や凡庸な出来に落ち込むこともしばしばあるけれど(というかそんなことばかりだけれど)、その人にしか書けないものがきっとあるの精神でどうにかやっていきたい。

 

自分の欲求をうまくコントロールできない日々が続いている。一人で部屋にこもっていれば何も気にならないような些細な欲求が、二人になった瞬間一気にぶわっと身体の中で電気ケトルのように瞬時に沸きあがって、相手を困らせている。

気を抜いたらゆるゆると沈み込んでしまうような、ゆるめのゼリーの上に立っているような感覚だ。足場がおぼつかないので相手の腕をつかむのだけれど、相手はきちんと適切な量のゼラチンで固められた綺麗なゼリーの大地に立っているから、縋られてもきっと重たく感じるだけだろう。

 

困らせたいわけでもないし、思い通りにしたいわけでもなくて、突き詰めていけば二人が窒息してしまう直前まで一緒にいたいだけだ(もちろんそんな悲しい日は来ないなら来ない方がいい)。

まさか自分が「嫌いにならないで」なんてみっともない台詞を口にする日がくるとは思わなかった。こんなに情けなくてやりきれない気持ちになるのなら、最初からもっと人ひとり分の距離を飛び越えないでいればよかった。そんな風に考えては、ぱちぱちとあてもなくまばたきをしている。

今はまだすごろくの2マス目くらいのところにいる

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3月23日、引っ越した。最低限の家具と、洋服と、布団を持って、私は実家を後にした。なんかもっと感動とか、そういう情動があるかなと思っていたけれど、特に何もなく日々は過ぎる。ともあれ生活は続くので、振り落とされないように目先のことに集中して、ひとつひとつ確かめながら歩いている感じだ。


他人との生活は意外にもどうにかなるもので、むしろ今のところは私よりも相手の方がひとりの時間を求めているようにも思える。年始には私が発狂していたのに、今のところそういった予兆が見えず、不思議だ。自分で自分の感情のバイオリズムが分からないのは単純に不便だなと思う。


住み始めたこの物件はもともと大家さんの親族が小さなお店をやっていた部屋で、そこかしこにリノベーションの跡が残っていて、カウンターキッチンがあったり部屋の壁が赤かったりとなかなか面白いことになっている。そして、私たちはそういうところが気に入ってここに決めたのだ。木造なのでめちゃくちゃに寒いという点を除けば、今のところ大きな不満もなく暮らせている。


職場もうんと近くなった。前は電車を乗り継いで一時間半弱掛けて通っていたのだが、今はバスでスイスイ15分ちょっとで通勤できてしまう。こんなにイージーモードで良いんだろうか、と不安になるレベルで早い。当然、朝も格段にゆっくり寝られるようになり、ますます私の寝汚さに磨きが掛かっているところだ。


一緒に住むにあたって、私たちは「家賃の契約の件などもあるので絶対に一年間は何があっても一緒に住む」という約束をした。この一年間が穏やかなものであればいいなあと思う。私がこの家を出るのは、彼が私に愛想を尽かしたときか、私が彼をどうやっても人として好きだと思えなくなったときのどちらだろうか。そんな風に考えたりすることもあるが、そんなのは当然誰にも分からない話なので、変なことで深く悩み始める前にさっさと寝てしまった方がいい。


ブログの更新も、一ヶ月ほど空いてしまった。実のところ、まだ新居にはインターネット回線が来ておらず、この文章も布団に入りながらiPhoneで書いている。今、私はほかの何より通信制限が怖い。


昨日は目黒川まで花見に行ったが、桜というものに対して特別そこまで感情が動くことがなく、ただ川べりを散歩してきたみたいな形になった。花見に出掛ける度に、これは自分には向いていない行事だなと思う。

私にとって大事なのは桜よりもラーメンだ。そう、昨日はとても寒かった。寒い日にはラーメン。ラーメンが食べたくて仕方なかったのでそう強請ると、一緒にラーメン屋さんに行ってくれると言い、お言葉に甘えた。


頭の方でも書いたように、今日の彼は少しだけ様子がおかしい。おかしいというか、私との距離を測りかねているという感じだろうか。どこまでも人間と人間という感じだ。こういうぎこちなさが、いつか将来的に私を色々な意味で泣かせてくるような気がしている。ああ、悲しい終わりが来なければいいな。


私も私で自分が今のところ大丈夫だからと少し寄り掛かり過ぎたのかもしれないな、と考えつつ眠る。襖の向こうから彼の寝息が聞こえ始めて、こんな些細なことにすら、まぶたの裏まで涙がせり上がってくる。特に悲しくも、嬉しくもないのに。私も私で十分難解で、多分それ以上に単純なのだ。

干支を食べ脳がバグって笑い合いアパートメントで旅本を読む

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引っ越しの準備が着々と進んでいる。
物件が決まってから入居日がなかなか決まらずやきもきしていたが、結局「3月中ならいつでもいいですよ」ということになり、ばたばたとスケジュールを確認して3月末に引っ越すことが決まったのだ。

新しい家は会社にも近く、間取りもほぼ希望通りだ。自分の部屋は和室。布団で寝るのは久しぶりだが、何だか毎日旅館に泊まっているみたいな楽しさを味わえそうで今からわくわくしている。単純だ。この単純さで面白おかしく生きていきたい。

 

金曜日の夜は約1か月ぶりに氏と会う。私がやらかしたポカに対して頭ごなしにめちゃくちゃに怒られて私も大人げなくへそを曲げた。

磯丸水産でカンパチとほたての刺身を食べる。うまい。カンパチがすこぶるおいしかったので、何だか怒っているのが馬鹿らしくなって、ふざけた。実は内心このふざけが吉と出るか凶と出るか分からず怖かったのだが、向こうも少し感情的になってしまったと後悔していると言っていたし、最後は諦めたように笑っていた。それがいいことなのかどうかは分からないけれど、私はもうどこまでも私としてしかいられないので、そこは諦めてくださいねと常々思っている。

 

昨年末に谷根千を散歩したときに作ってもらったいのししの飴細工がそのままになっている。ずっと飾っていたのだけれど、引っ越さないといけなくなったので2人で食べた。甘い。こういう時、「あまい」と「うまい」は同義だ。

氏は歯で頭を噛みちぎったりなかなかアグレッシブな食べ方をしていた。「干支を食べているぞ」という心持ちが何だか良かったので、毎年の恒例行事にしたい。

 

土曜は昼過ぎに出掛けようね、と予定を立てていたが、結局2人で二度寝三度寝としてしまい、出発したのは夕方の4時とかその辺りだった。

1時半くらいに2人で同時に目を覚ました時に、お互いに顔を見合わせて「寝ちゃったね」と言い合ったのだが、その0.5秒後くらいにまた2人とも寝た。ああいう瞬間はいくつあってもいい。もしこの先我々2人が他人同士になったとき、私は多分あの一瞬のことを思って泣くだろう(何なら今も泣けそうなくらいだ)。

 

そうして新宿へ向かい、パスタを食べる。氏はお茶漬けパスタとかいうものを頼んでいた。食べながら笑っていたのでどうしたのかと尋ねたら、「パスタを食べると思って口に運んだらお茶漬けの味がして笑っちゃった」と言う。体験してみたくて一口もらったら本当にその通りだったので私も笑った。脳がバグる感覚を共有できるのは楽しい。

 

腹を満たしたあと、ずっと行きたかったTSUTAYA BOOK APARTMENTへ行く。
少し前にTwitterで同人作家向けのツイートがバズっていたせいか(どうかは定かではないが)、夜の時間帯でも女性専用エリアは埋まっていた。

pathee.com

5階のグランピングエリアで旅本を読む。精神年齢が幼稚園の頃から成長していないので本当はミッケがやりたかったのだが、絵本類は6階の女性専用エリアにしかなかったようだ。

男女共用部というだけあって、本当にどこを見てもカップルしかいない。視線の先でいきなり若い男女が熱い抱擁を交わし始めた時は「おっやってんな」と思ったが、程度の差というだけで我々も横に並んで寝転んだりしていたので沈黙を守った。

3時間はさすがにもてあますだろうかと思っていたが、やれ石垣島に行きたいだの瀬戸内海も良いだの言っていたらあっという間に時間が過ぎていた。色々な旅行雑誌をぱらぱらとめくっているだけでも楽しいし、何よりもyogiboの人をダメにするクッションに寝転がれるのが最高だ。

フリードリンクで永遠に紅茶やスープ類が飲めるのもいい。おれはオニオンスープなら何杯でも飲める。

9月くらいにふわっと沖縄の方にでも行きたいね、というところから始まり、どうせなら本島じゃなくて離島がいいねという話になる。旅行ガイドを読んでいたら石垣島に良さそうなホテルがあってそこに泊まりたいという話になったのだが、いかんせんお高い。

何かの記念であればお高い宿でも良いのではないかと思い「じゃあ新婚旅行ってことにしましょうか」と提案したところぽかんとされた。そりゃそうだ、別に結婚する予定など全くないのだ(とはいえ今回の引っ越しについては向こうが「結婚を前提に」と明文化しているのでそこまで突拍子のない話ということもないと思っている)。

今のと違う名字が欲しいだけなんだ、分かってくれ……という気持ちも表明したが、最終的には「気が早い」と言われる。こうなってくるともう何を言ってもゼクハラになるので今後はやめておこうと思った。別に変なプレッシャーを掛けたい訳ではないのだ。

 

久しぶりに心から幸福だなと思えた週末だった。これは確かに1人では味わえない感覚だ。こういう日があると、ああしんどい思いをしてここまで来て良かった、投げ出さないで良かったと思える。

毎日の不安にも終わりはないが、こういう小さな幸せも同じく終わりがないのかもしれない。終わりが見えないことは相変わらず怖い。せめて、今日のように忘れたくない日のことはこうしてここに残しておこう。

隣に誰かがいるのが怖い

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特に何か大きな事件が起きるでもなく、毎日を粛々と生きている。バレンタイン商戦にまんまと乗っかって買ったベルアメールのチョコがおいしくて幸せだ。こういう些細な幸せを浴びるように摂取してポクッと息絶えたい。

 

平日は職場と自宅の往復、帰宅して23時頃までに寝る。夜更かしをしなくなって朝なかなか起きれないということは減ったが、相変わらずギリギリの電車に乗っているし、夜に映画を見たりする時間も減ったのでどうしたものかなと思っている。

休日は人と会って温泉に行ったり磯丸水産ホンビノス貝を焼いたり作ってもらったご飯を食べたりひたすらヨシヒコを見たり。明らかに疑いようもなく楽しく幸せな時間であるけれど、たまに2人でいることがどうしようもなくしんどくなることがある。

この手の話は既に何度もここで吐き出していて、もうそういうものですよと思って生きていくしかないのだ。ないのだけれど、何だか急につらい気持ちになってしまって、ずっと買おうと思っていたイヤホンを衝動買いしたりしている。

 

生活がどこまでもいっぱいいっぱいだ。何も不自由なく、仕事含め自分の出来る範囲で自分の好きなことをやっているつもりなのだけれど、どうしてかそんな風に感じることがある。

こうして愚痴ばかりこぼしていたって仕方ない、仕方ないのだが、昨日の自分の発言を延々と反省したり、あれはなかったなと落ち込んだり、そういうことばかりで時間が過ぎる。

気分のムラ。要は気分のムラがひどいのだ。かの宇多田ヒカルも「気分のムラは仕方ないね」と歌っていたけれど、定期的な周期でこういう気持ちになることがある。肉体とは、ホルモンとは、かくも余計な仕事ばかりするものだろうか。早く脳みそだけで生活できるSFの世界で生きたい。

 

自分の機嫌は自分で取らなきゃいけないし、藪で蛇をつついて落ち込んでいる場合でもない。その解決を他人に委ねるのはちゃんちゃらおかしい話で、私はまず誰よりも私のことを愛してあげなければいけないし、楽しくいられるように気を回してあげなくてはいけない。

やっていく、私はうまくやっていく。ひたすらにそう唱えながら電車に揺られている。最寄り駅まではまだ遠い。