他人に迷惑を掛けない範囲でいっそバブバブしていたい

先日ここに書いた「またちゃんと日記を書いていきたいな」との宣言も虚しく、早速間が空いてしまっている。
土日はなんやかやと映画を見たりして過ごしてしまい、夜もそのままなだれ込むように眠ってしまうことが多く、日記をつけることを忘れてしまうのだ。それはそれで別に特段嘆くことでもないのかもしれないが、何となくズル休みをしているような居心地の悪さもあったりして、どっちつかずだなぁと心の中で苦笑いをしている。そんな毎日。

 

GWに寂しさを紛らわせるべく無駄に没頭していた筋トレも、ちょっと気が緩むと途端に忘れる。せめてスクワットだけは……と思わないでもないのだが、今日も既に忘れたふりをしてお風呂にはいってしまった。汗をかきたくないので、今日は疲れたからと言い訳をして眠ろう。

 

何だかとても眠い。まだ二十二時だしと思って途中で見るのをやめてしまっていたROMAを流しているが、全然集中できていないのでこのまま寝てしまうのもありかもしれない。そんな日があったっていい。何といってもまだ月曜日だ。ここで無理をすると木曜日あたりに布団の中で朝日を呪ってしまう。

 

やっと少し自分の足で立てるようにリズムが戻ってきてほっとしている。今週は少し本腰を入れて書きたいと思っている文章があるので、会社の昼休みに何となく構想を考えたりしている。
読んでくれている相手に何を伝えたいか、どう思ってもらえるだろうかとアウトプットの先を想像するということをサボりがちなので(仕事以外の場面で)、久しぶりに集中してキーボードを叩けたらいいなと思っている。思うだけならタダだ。口だけ侍にならないようにしっかりと時間を確保しよう。

 

自分の中の「寂しさタンク」は無尽蔵で、情けない話だが、どれだけ目を掛けてもらって愛情を注いでもらっていても、それに気付かないばかりか、もっともっととさらに強請る。いくらもらっても、もっともっと欲しいとそればかり考えてしまい、終ぞ満たされることがない。

二十四年ちょっと生きてきてまだこんな子どもみたいなことを、と思うけれど、言い換えればまだ二十四年ちょっとでもある訳で、もう仕方ないから他人に迷惑を掛けない範囲でいっそバブバブしていたいなと思ってしまうことも多々ある。良くないんだけどね。親鳥の帰りを待って延々に口を開けてるひな鳥、あれが私です。

 

世界も世界だから二年先、三年先、五年先、十年先の自分がどうなっているかなんて全く分かったもんじゃなくて、そんなことをいちいち不安に思いながら鬱々としている時間がもったいないよなとも思う。けれど、不安というものはそういう理論構造で取り除けないから不安なのであって、もちろん個人差にもよるけれど完全に不安のない快晴のまま生きていくことはひどく困難であるように私には思えて仕方がない。やっていく気持ち。やっていく気持ちが大事です。

 

先週一週間の記憶が曖昧なのと同じように、昨日から今日に掛けての記憶も曖昧だ。こういう曖昧さがまた非常に不安を駆り立てるのだが、都度やっていく気持ちを思い出していかないといけない。

どこまでも毎日をたらたらと浪費して生きている私だけれど、今日も一日頑張った。それでいい。おやすみなさい。