他者と生活をともにするにあたってのメソッド

交際相手と同居を始めて、早いもので半年以上が経った。幸い大きな言い争いなどもなく生活できているものの、もちろんそれは程度の差はあれお互いの我慢やこらえの上に成り立っているものだろう。

人と暮らすにあたって難しいのは、お互いの「我慢ならんポイント」が全然違う方向を向いていることだ。

部屋が多少汚かろうが平気な顔でソシャゲに打ち込める私のような人間もいれば、洗い物がシンクに溜まっているのが嫌で嫌で仕方がない人間もいる。人と一緒に暮らし始めるようになると、生活音や流しのにおい、買い物の頻度など、生活におけるありとあらゆる場面でそういう互いの差異と向き合わなければならなくなる。

もちろん、これは人としての性質の違いの話であってどちらが一方的に悪だという話ではないので、その結果として当然「片方が我慢する」という状況が生まれることになる。

 

さて、では自分が我慢しなくてはならない状況になったらどうするか。目下私が実践しているのは、「とりあえず様子を見る」という戦法だ。

ちなみに、私は部屋がどれだけ汚かろうとゴミがどれだけ溜まっていようと洗面ボウルに髪の毛がどれだけ落ちていようとほとんど気にならないタチなのだが、同居人は私のレベルを遥かに超えている。比較対象にするのもおこがましいほどの生粋のサバイバーなのだ。

彼の部屋の隅には「あらまあ暫く見ないうちに大きくなって……」と声を掛けたくなるような埃玉が落ちていることがよくあるが、私は一貫して見なかったことにしている。見なかったことにする、というスキルは大人のみに許される高度な心理戦のひとつだ。

 

つまり、どういうことかと言うと、ある程度様子を見ることを繰り返しているとそのうち今度は相手の「我慢ならんゲージ」の上限が見えてくる。「あ、このレベルになったら掃除するんだ」とか「あ、ここまで溜まったら捨てるんだ」とかそういうゲージが見えるようになってくるのだ。

これは家事だけでなく生活態度などにも当てはまり、一度様子を見ることによって相手の生態が分かるとこちらも出方を考えることができる。「もうちょっと譲歩して欲しいな」と交渉から入るのか「生かしておけぬ」といきなりナイフを取り出すのかは個人の自由だが、後者の場合まず当人同士の関係性にも傷がつくことは避けられない。

なので、まずは一旦相手の生態を観察すると同時に、自分の我慢ならんゲージの溜まり方についても見極めるようにしている。私は自身の特性上音に敏感なのでその点については気をつけて欲しいと伝えるようにしているが、それ以外のポイントの場合にはできるだけ様子を見るようにしている、正確には見なかったことにしている。

幸いにも我々の場合は双方とも衛生観念がガバガバなので「掃除しろ!」とか「使ったものしまえ!」とかそういう言い争いは起きたことがない。2人とも掃除しないし、2人ともその辺にぽいぽいものを置きっぱなしにするからだ。人間、相手に対して後ろめたいことがあると強く出られないというのが常だが、まさにそういう状況である。そして、こと彼に関してはそれらのことを恐らくまっっったく気にしていないのだと思う。強い。大らかと美化することもできるが、無論、家中がいつも汚い。

 

気付いたら掃除の話ばかりしてしまったが、この戦法は日々の買い物にも応用できる。

明確な買い出し担当を決めていない限り、やれケチャップがもうないだのティッシュがもうないだので運が悪いと喧嘩になることもありそうなものである。しかし、ここでも私は一貫して様子を見るというスタンスをとっている。

例えばトイレットペーパーのストックがもうそろそろ尽きるとする。ここで「どちらか買って来るか問題」が勃発するわけだが、これもやはり高度な心理戦だ。最後の最後まで様子を見つつも、相手が一向に動く気配を見せない場合、そいつは用を足したあとケツを拭かない文字通りのクソ野郎なのでアデューした方がいい。

最後にケツを拭くのはどちらになるか、というギリギリのラインまで攻防が続いた場合、これは一度先に折れた方が不利だ。逃げ切った方のろくでなしは(私のことだ)「ここまで待てば次も向こうが買ってきてくれるだろう」とタカをくくるし、次回以降も間違いなく限界まで動かない。これは歯磨き粉や食器用洗剤などにも言えることだが、こういう生活必需品関係の買い出しの場合はあえて様子を見ることで相手に買い物に行かせるというテクニックが使える。もしそれでも相手が動かない場合は歯を磨くつもりがないとか皿を洗う意思がないとかそういう事態が考えられるので、やはり一緒に暮らすのには向いていないということだ。

 

相手に対してフラストレーションを溜めないようにするには、常に心のどこかで「でも~~はやってくれてるしな」とか「私も~~なところがあるしな」と予防線を張ることも大事だと思う。本当はそんなムーブなしにやっていける相手が望ましいのだが、自分と生活の波長が合う人間を見つかるのは至難の業だし、それくらいの思いやりと諦めはたった2人だとしても「コミュニティ」においては避けられないものだろう。

家のことを自分ばかりがやっているという状況では気が狂ってしまうので(本当はそう感じないのが一番いいのだけれど)、まずは明確な役割分担を決め、そこから漏れてしまう細かい掃除や日用品の買い出しには「様子を見る戦法」および「見なかったことにする戦法」で対応するようにするといい。

自分よりも多く家事を担当してくれている相手への感謝を忘れず、できるだけ自分が楽をするためのメソッドをこれからも追及していく所存だ。

東京は、個性が自由に遊ぶ街

物心ついたときから、私はずっと「住む人を否定しない街」に住みたかった。個性を受け止めてくれる街、と言い換えてもいいかもしれない。

今から20年と少し前に私が生まれた土地は、「街」というよりも「町」という言葉の方がしっくりくるような、若者よりも老人の方が幅を利かせている片田舎だった。
住所としては東京都に属しているものの、23区からは遠く離れ、埼玉との県境に位置している。特徴と言えば他の街よりも少しだけ病院がたくさんあるくらいで、こうしてこの文章に向き合っている間にも書くべきことがこれといって浮かんでこないくらい、面白みのない郊外のこじんまりとした場所だ。

 

大学生になって、髪を盛大に脱色し、自分で稼いだお金で好きな服を着るようになった頃だろうか。私はその街で、たぶんかなり「浮いた存在」だった。
現在進行形で知人に「将来草間彌生みたいなババアになりそう」と言わしめるファッションセンスの持ち主なので仕方がないのかもしれないが、少し外を歩くと、擦れ違う人たちから何となく好奇のまなざしを向けられていると感じた。自分の個性が「おかしなもの」としてとらえられていることに少なからず落胆し、同時に少しの寂しさを覚えた。

 

私と同じように、「大した娯楽施設もなければ都心へのアクセスも良い訳ではない中途半端な片田舎」での時間を過ごしたことのある人であれば何となく通じると思うけれど、そういう閉塞的な空気の漂う場所では、「人と違うこと」は往々にして許容されない。そして、それは年寄りに限った話ではなく、その街で生まれ育った若者の間にも言える。

「昨日のドラマ面白かったよね」
「Mステ見た?」
「女の子なのにアイドルに興味ないの?」

小中学生なんてそんなものかもしれないが、「メインカルチャーしか受け入れる気はありません」という気概がビンビンに溢れた会話が繰り広げられる教室はつらかった。当時の私にとって、月曜と言えば月9が放送される日ではなく週刊少年ジャンプの発売日であったし、ジャニーズなどのアイドルがたくさん出演しているような音楽番組にもまるで興味がなかったからだ。

 

小学生の頃は気にならなかったその断絶が、中学生になって「取り繕う必要があるもの」に変わった。周りと違うものが好きでも、それを主張しすぎると村八分にされてしまう。恋愛ドラマを見て、男性アイドルに熱狂して、流行りの歌を聴き、みんなと同じ服を着る。そういう振る舞いが求められる世界だった。
高校生になって、世界が少しだけ広がった。それまで一人きりで聴いていたバンドも、自分と同じようにそれを好きだと言う人がいることを知った。

そして、大学生になった私が知ったのは、自分の生まれ育った土地がいかに狭く閉鎖的な場所だったか、ということだった。多少時間が掛かっても実家から遠い都心の大学に通った意味があったと、今でもしみじみ思っている。

都会の人は、みんな自分の好きなファッションをしていた。好きな音楽を聴いていた。自分の好きなものを、胸を張って好きだと言っていた。それはまさに青天の霹靂で、東京に住んでいながらはじめて都心の空気に正面から触れて、「こんな街があるのか」と目からうろこがナイアガラのごとく落ちた。

 

それから時は流れて、気付けば社会人3年目。今年のはじめからは、縁あって実家を出て、中目黒や代官山へもほど近いある街で暮らしている。
決して大きな繁華街ではないけれど、休日になれば、様々な個性をもった人々が通りを行き交っている。そして、その誰もが、道行く人々の個性をいい意味で気に留めていない。
東京は、都会は、冷たいところだろうか。確かにそういう側面もあるのかもしれない。けれど、誰もが自分の個性を犠牲にしなくていい場所であることも確かだと思う。

もちろん、都心から離れた場所には、喧騒とは無縁のゆったりとした時間や地域の密な関わり合いなど、良い面もたくさんあるだろう。けれど、そのコミュニティからドロップアウトしてしまったものを受け止めてくれるのは、きっと雑然とした東京の街だ。

 

その街の空気を決めるのは、そこに暮らす人たちに他ならない。街というものは、そこに住む人が一緒につくっていくものだ。

だから、私にとっての住みたい街は、「住む人を否定しない街」。誰もが思い思いに個性を楽しむ、この東京だ。

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by リクルート住まいカンパニー

他人と接するときの「正解」が分からないまま25歳になってしまう

ここ最近はnoteの方に文章を書いていたのだけれど、結局はてなブログに戻ってきてしまった。なんというか、やっぱりnoteとブログとでは場の雰囲気のようなものが明らかに違っているように感じられて、私はやっぱりブログの方が好きだ。

 

仕事のことを考える時間が増えている。その過程で気付いたのは、私は自身の特性上「目の前に見えているものしか見えない」ということ。「いつかこうなるだろうから、見越してこれをやっておく」ということを長期的な(二週間先~数か月先くらいのイメージ)スパンで考えることがひどく難しいのだ。

多分、計画を立てることも苦手だ。自分はその辺りのことを全然できるだろうと思っていただけに、いざそのレールを踏み外していると分かった時はしんどいものがあったけれど、仕方ない。私はこの肉体と精神と共に生きていかねばいけないからね。

あと、単純な気付きとして、恐らくそもそもデスクワークが向いていない。ざっと指折り数えただけでも、「人が多い場所が苦手」「少しの物音が気になって集中できない」「同じ場所に居続けなければいないのが苦痛」エトセトラエトセトラ。オフィスの窓の外がよく晴れている日こそ、ズドンと気持ちが落ちやすい。空を自由に飛びたいな。

 

人とコミュニケーションを取るのは本当にきつい、それ自体がきついというよりも、未だに「正しいとされている」コミュニケーションの方法が分からないことが。他人なんてどうでもいいとかそんな風に思っている訳ではないけれど、頭の中が忙しいとき、あるいは何も考えていられないときに、誰かとの会話にまで気が回らないということが多々ある。

こういうことを言うと本当に小物感があって自分でも嫌になるけれども、その上であえて言葉にするならば、人とのコミュニケーションの中で何をどう言えば「正解」なのか、それが分からない。反対に人と喋らないからそう評されるのだろうか。分からない。ほかの人たちが「当たり前」にできていることが自分にはできないということがどうやったって許せなくて一人で泣いた夜があるか。

「あなたの言うことは正論だけれど、今求めているのはそれじゃない」と繰り返し言われたことが、今になってじくじくと胸を刺す。じゃあ一体どうしろと言うの、分からない自分が悪いの。そんな気持ちが溢れてしまう真夜中もひとつふたつではない。

 

二年ほど前か、適応障害で精神科にかかったときに、ADHDのテストを受けたことがある。その時は特にそういうきらいがあるという結果は出ず、医者は私の過去の通知表を眺めながら「今まで挫折をしたことがないから落ち込んでるだけじゃないか」と言った。くそったれ。私の苦しみは私のものだ。

とはいえ、謙虚さを忘れるのは良くないと思い直し、その医者の発言も胸に留めて生きてきた訳だけれど、ここ数週間またしんどくなっている。何が個性で、何が特性で、何が障がいなのか? もちろん全てグラデーションなんだろうけど、私が物心ついてから重ねてきたこの対人関係の違和感について、明快に姿形を与えてくれる言葉はどこにあるのだろう。

もしどこにも欠陥はありません、と言われでもしたら地獄。そう考えてしまっている時点で甘えなのかもしれないけれど、私が繰り返し感じてきたこの「しんどさ」を、「当たり前、みんなも同じだよ」と宣告されるのは私という人格の殺害に等しい。苦しさ。ギリギリで理解されないつらさ。それをまず自分自身が認めてあげたい。

このまま鬱々としていても仕方ないので、近々、暮らしている地域の支援センターに相談にでも行ってみようかと思っている。自分から動かないと状況は変わらない。何にせよ、半年から一年くらい、自分にとって何が大切でどうやって生きていきたいのかをしっかり考える時間が欲しい。

振り向いた先の暗闇に足を浸して生きていく

長い長い夢を見ているような、降り注ぐやわらかい光に向かって目的なく腕を伸ばしているような、そんな目隠しの時間を消費してきた。何も見ず、何も聞かず、少しでも自分の脆い輪郭をこそぐかもしれないものを徹底的に遠ざけてきた日々は、輪をかけて私を臆病にさせ、瞳の奥に重たい淀みが積み上がっていくのみだった。

他者との関わりを避け、自らの殻に閉じ篭り、その度に肥えていくお門違いの自尊心に気付いていなかった訳ではない。けれど、その滑稽な「私」という存在の証明を振りかざすことでしか、私は私を正しく認識することができなくなってしまっていた。

日陰から眺める日向は、いつも残酷に眩しかった。焦げつくようなその陽射しから目を逸らしても、肌をやわらかに切り裂く木漏れ日からは逃げられない。日の当たる場所を恨めしく思いながら、縫い付けられたように、陰の中から動けずにいる。

この肌を日に焼くこともなく、生温く身を包む幸福感に身を委ねて漂う日々を続けているうちに、いつしかそれが自分のアイデンティティなのだと信じて疑わなくなった。そうして自分を守らなければ、きっと心がすり減ってしまう。そんな風に姑息に予防線を張って、目まぐるしく過ぎていく毎日を中途半端にやり過ごす方法だけが身についてしまった。

誰かのことを嫌いになりたい訳でも、自分は不幸なのだと自分自身の首を非力な腕で絞りたい訳でもなかった。なのに、いつからか周りと同じリズムで呼吸をすることに苦しさを感じるようになって、新しい譜面を覚えようとしないまま、調子はずれの歌を歌い続けているような、そんな歩き方をしている。

自分自身が、見えなくなった。自分の振る舞いから目を逸らし、他者との差異でしか自己というものを咀嚼しないでいたツケが、今、私の両肩に重くのし掛かっている。斜に構えることでどうにか守ってきた、最早どうしようもなく弱く脆い存在となり果ててしまっただけの「自分」そのものが、その鈍い切っ先で私自身を抉っている。

恐らく、私は、陽射しを浴びて輝く何かとびきりきらきらしたものになりたかった。陰の中から一歩を踏み出すだけの勇気もない癖に、いつかは自分もそうなれるのだと、ただひたすらに思い込んでいた。愚かなほど無垢に。純粋に。取るに足らない小さな自分を、懸命に閉じ込めて。


文章を書くことが、言葉を生み出すことが好きになったのは、いつからだろう。そして、それを続けていくことを、諦めたのはいつだろう。この頃は、ぼんやりとそんなことを考えている。

ふっ、と息を吐いたら消えてしまいそうな、頼りない灯火。胸のうちで不安げに揺れるその小さな火を燃やしているものは、これまで受け取った、私の書いたものを読んでくれた「誰か」からの言葉だった。私がただ漠然と生きて、けれど書かずにはいられなかった詮無い文章を、素敵だと伝えてくれた人がいた。そんなことを、何も特別でないありきたりな夜に思い出している。

途方もなく続いていく時間を、どうやって生き続けていくのか。生き方を決めるということはとても恐ろしく、結局のところ二の足を踏みそうになっている。
今までずっと憧れていた、けれど怖気付いて踏み込むことをしなかった陽だまりを見送った。振り向いた先には、もがきながら進むしかない、いまは出口さえ見えない暗闇が続いていた。けれど、いま私はどうしてか、自身の胸に灯ったその僅かな揺らぎに突き動かされようとしている。陰よりももっと深く、湿った大気が肌にまとわりつくような不安が満ちたその中へ、一度でいいから足を浸してみたい。

私には好きな歌がある。私の口は、それを口ずさむことができる。私には書かずにはいられない何かがある。私の指は、それに文字という姿を与えることができる。それは、ああ、眩しいくらいの幸福に違いない。
私がいま手を伸ばそうとしている光と、ずっと指をくわえて焦がれてきた光は、もしかすれば決して交じり合うことのないものたちなのかもしれない。けれど、私は自分が見つけた光の方へと歩き出す。終ぞその光に触ることができなかったとしても、それを目指して歩いてきた足の疲労は、私だけに許された贅沢な重みに違いないのだから。

ライブには通えるうちに通おうね

今週は何だか体感5秒くらいで過ぎ去ってしまった。特別忙しかったというよりは、気持ちと体力の余裕がなかったという方がたぶん正しい。帰ってきて、泥のように眠って、起きて。そうこうしているうちにあっという間に土曜日だ。

 

今日はお昼から髪を染めに出掛けて、帰り際、前々からずっと行こうと思っていた図書館へ寄る。自宅から歩いて10分ちょっとの場所に図書館があるのはありがたいことだ。小説を何冊かと、哲学の入門書を借りた。

棚の前で何を借りるか迷いながら、本当に最近は全く本を読んでいなかったな、と再認識する。本というものを読んでいなすぎて、自分が何を読みたいのかも分からない状態になっていることに気付いた。おすすめの作品や作家さんについて、Twitterなどでぜひ教えてもらいたい。今は何だか普段の自分では手に取らないようなものも読みたい気分だ。

ハードカバーが詰まったずっしりと重たいトートバッグを肩にかけて、家までの帰り道にある小さなカフェへお邪魔した。入ってみると、カフェというよりも「居間」という印象で、お年を召したご夫婦が営んでいるらしかった。私の他に客はなく、ご主人がソファに座ってゴルフ中継を見ている横で、アイスコーヒーをいただきながら4人掛けのテーブルに腰掛けて『桐島、部活やめるってよ』を4分の1くらい読んだ。

帰り際、ご主人に「どんな本を読まれるんですか」と声を掛けていただいて、「今読んでいるのは小説なんですが、大学で哲学を勉強していたので、哲学書も少し」とややかっこつけてしまった。その言葉が嘘にならないように本をたくさん読もうと誓う。「っまた図書館に来た時にお邪魔してもいいですか?」と尋ねると、「ぜひどうぞ」と応えてくださって、何だかすごく心がぽかぽかする。昨日も帰り際にタクシーの運転手さんに「お疲れ様、おやすみなさい」と声を掛けていただいて、ちょっとしたことなのにすごく満たされたのを思い出した。

家に帰って、そのカフェの話をすると、Kさんも「すごく良い場所」と笑ってくれた。きっと2人で行くことはないだろうし、それでいいのだけれど、自分の良いと思ったことを聞いてもらえて頷いてもらえるのはとても嬉しいことだ。

 

昨日、ライターのながちさんのブログを読んで衝撃を受けた。

takachi.hatenablog.jp

私も学生時代はART-SCHOOLばかり聞いていて、そして、同様にLUNKHEADも好きだった。今でも大事な曲がいくつもあって、思い出したように口ずさんでいる。

この「思い出したように」というのがまさにこのブログの記事とリンクしていて、自分の生活や聞く音楽があの頃とはもう変わっていて(それ自体は何も悪いことではない)、いつしか私はLUNKHEADというバンドのことを気に掛けないようになっていた。

だから、20周年ツアーのことも、このブログではじめて知った。衝撃だった。小高さんがブログにあんなに赤裸々に「チケットが売れていない」と書いていることも、LUNKHEADがそんな状況にあることも。

小高さんも書いているように、社会人になったり結婚したり、生活が変わっていく中でライブに行けなくなるのはもちろん仕方のないことで、離れていってしまった人たちが悪い訳ではない。けれど、それが積み重なって、20周年のこの状況なんだよなぁ。そう思うと本当に胸が痛い。

この件に関して私はどこまでも外野で、ツアーファイナルの日にはじめて知ったくらい、LUNKHEADとの距離は離れてしまっていた。もしリアルタイムで見ていたらチケットを買っていただろうと思うけれど、後の祭りだ。

バンドを続けていくには音源の売り上げとかライブの動員とかそういう「数字」が確かに必要で、たぶん、それは私が思っているよりもずっとシビアな世界なんだろうと思う。だからこそ、月並みな話だけれど、応援しているバンドのライブには行けるうちに行っておきたいと、そんな風に改めて思った。私の買うチケットが、少しでも彼らの音楽が鳴り続けるための助けになってくれたらいい。

a flood of circleというバンドのことをもっと愛していたいし、彼らの鳴らすまっすぐなロックをもっと聞いていたい。という訳で、微力ながら、次のツアーにも足を運びたいと思います。

 

ENTRANCE~BEST OF LUNKHEAD age 18-27~

ENTRANCE~BEST OF LUNKHEAD age 18-27~