おいしいご飯は最高♡とのたまいつつバイキングに行ったら同行者がウイルス性胃腸炎になった

先週、都内の某所に蟹の食べ放題に行った。いや、厳密に言えば蟹の食べ放題ではなくディナービュッフェだったのだが、私はほとんど蟹しか食べていない。蟹の他はホタテが少しと、デザートのケーキと果物を数種類ずつといった具合である。

シェフが一枚一枚切り分けてくれるローストビーフコーナーの前には長蛇の列ができており、私もそれにあやかって食べたのだけれど、あんまりピンと来なかったので(もちろん美味しかったです、美味しかったですけどね)そこからは無心で蟹を食べた。そもそも私はローストビーフ自体がそこまで好きではないので、蟹と比べられるそのローストビーフも気の毒な話ではある。

 

さて、そしてタイトルの通りである。昼休み、「今日はもう油と小麦粉しか食べたくない」という強固な意志と共に職場近くのマクドナルドでレジに並んでいたところ、件のビュッフェの同行者から連絡が入っていた。要約すると「ウイルス性胃腸炎 今週出社不可」(電報?)といったところだろうか。

ちなみに私の方は本当にマジで何ともない。仕事中にブログを書けてしまうくらいピンピンしている。同じ卓で同じ蟹を貪っていたというのに相手だけピンポイントに当たったというのだから驚きである。あんまりな仕打ちすぎてすぐに「申し訳ないけどクソワロタ」と返信した。本当に申し訳ない話だ。(せめてもの償いとしてその後「今仕事に余裕あるので何かあったら言ってくださいね」とフォローした)

ちなみにそのマクドナルドではレジ打ちの機械の電源が落ちており、店員さん達がお会計から注文管理まで全て手作業で行っていて泣けた。こういう時に横柄な態度を取る人間にだけはなりたくないなと思った。どんなに物忘れがひどくなっても、繁華街の飲食店は急なトラブルの有無にかかわらず常に合戦場であるということだけは忘れないでいたい。

 

話が脱線した。
その同行者と言うのが、今年の7月に某マッチングアプリで知り合った人で、仮にAさんとする。私は7月~9月の2ヵ月でアプリ経由で計4人の男性とお茶なりご飯なりに行ったのだが、結局1回目の段階で「次はいつにします?」といった話題がお互いに持ち上がったのはAさんだけで、それ以外の方とは申し訳ないがそれっきりである。で、その後確か3、4回仕事帰りにご飯に行ったりしてお付き合いさせて頂くに至ったという訳なのだが、そのAさんというのが件の蟹バイキングで胃腸炎になってしまった御仁である。

Aさんとは初めて顔を合わせてからまだ3ヶ月程度しか経っていないのだが、色々と新しい発見があるなあと思う。例えば、これは前にも少し触れたけれど、私は最近自分が結構食に貪欲というかおいしいものを探すのが好きなんだなと気付いた。今のところ、我々の関係は中心に食がある気がする。都内で人と会うとなると基本的に映画を見に行ったり遊園地に行ったりしない限り食に偏りがちではあるが、お店でおいしいものを食べながらじっと座っているだけでも楽しいというのは発見だった。前に付き合っていた人とは、そういう感覚を共有できていなかった気がする。

 

そんなこんなで最近は生活の中心が「おいしいものを食べる、おいしいお店を探す」にシフトしていっていて、Aさんの存在で生活に対する心持ちも大分変わってきているのを感じているのだけれど、気になる点がひとつ。どこまで「私生活を書くか?」ということ。

私は自分の私生活のことを書くのはあまり得意ではないのだが、小説のようなフィクションのフィールドでない限り、「文章を書くこと」と「個人的な体験」はある程度切っても切り離せないものだと思っている。この辺りは常に難しいなと感じているところで、「個」を強くすると妙に説教臭い方向へ行きがちだし、「客観」を重視すると当たり障りのない読んでいて特に面白くない文章になってしまう。

あとたまに気になるのが、「書かれた側の人はどう思うのだろう?」という点。私の場合、友人に「ブログに君のことを書いたよ」と言われたとしてもそんなに気にしないのだが、気になる人は多分すごく気にするところなんじゃないかと思う。この間勤務時間中に一気読みした「ダルちゃん」でも、そういう描写があった。(あれはブログではなく詩だったけど)
だから、私は日に何人も見ていないようなこの場所でさえ、「誰か」の話をすることへの抵抗を拭い去れないでいる。

 

なので、Aさんと私の関係性については、私がここまではいいかなと感じるラインを守りながら気が向いた時に書いていけたらいいなと思う。書くということは、良くも悪くもその時の感情が輪郭と共に残るということだ。それは怖いことでもあるけれど、写真を撮られるのが苦手な私にとってはそれは「その時」を残しておくためのいっとう取っつきやすい手段であるように思うのだ。